2011年10月31日

刺青

座禅会に行った時に、いくつかの刺青が目に入りました。アメリカ人は日本人よりも刺青の敷居が低いし、どういうわけか東洋文化に系統している若者は漢字の刺青を首の後ろに入れるという傾向があるので、刺青を入れているからと言って、極悪なわけではありません。

ただ、刺青は入れる時に痛いし、消えないのから、いくらその時には素敵だと思っても、結局は烙印を一生背負い続ける事になるわけです。そこまで深く考えずに刺青を入れるにしても、充分考えて承知の上で入れるにしても、刺青を入れるだけの度胸を持った人は、ある意味で凄いと思います。ある意味、人生を放り投げてしまえるだけの度量というか向こう見ずさというか、そういう資質を持っている事を刺青は物語っているような気がします。



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2011年10月30日

座禅会

ブルックリンにある曹洞宗の禅教室に行って来ました。私個人としては、なかなか興味深いと思ったけれど、8才の息子が40分間座れるかと言えば、大いに疑問です。ただ、座り方を教えてくれるので、やろうと思えば家でもできるというのは、大きな利点だと思いました。

私は今まで、座禅をした事もないし、禅宗も知らない全くの初心者なので、一から指導してもら為に、40分の座禅会の前に行われる説明から顔を出しました。禅堂の正面には木彫りのお釈迦様、その反対側には観音様が安置してあり、普通にお寺にあるような木魚や巨大なリンはあるものの、あとは座布団と饅頭のような形をした座禅クッションのみ。しかも曹洞宗や仏教全般の教義の説明は一切なく、最初から座禅の座り方、禅堂に入るときの礼儀の説明です。単刀直入で実務的なのは、非アジア人に指導する事に焦点を絞ったからなのでしょうか、ニューヨークという土地柄に合わせたのでしょうか、それともこれが禅宗というものなのでしょうか。

座る形が自然に様になっていてよろしいと褒められましたが、座る文化で育っている日本人が座れば、私のような初心者でさえアメリカ人よりも形になるのは当たり前です。40分間でも座ること自体は、全然辛くありませんでした。

目は完全に閉じずにうっすらと開けて瞑想するのは、甘美な妄想にふけろうとする心を、目開けている事によって視覚的に制御するためのようです。それでも、様々な日常の事柄は瞑想をしようとする心に浮かんで来るもの。今日は特に雨の音が聞こえて来たので、目を瞑ってそれに聞き入っていたいという欲望が出て来るのですが、目を開けていると白い壁が見えて、現実の世界に引き戻されます。集中しているわけでもなく、集中していないわけでもなく、ただそこにいる自分を見つめるというのは、本当に精神の修行だと思いました。

子供を連れて行く前に、夫を行かせてみます。



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2011年10月29日

カボチャのスープ

ハロウィーンが近づきましたが、ひょんな事から、カボチャが3つも家にありました。3つのカボチャの一つは、スタテン・アイランドの農場に行った時に買ったカボチャに息子がデコレーションをしたもの、後の二つは先日行って来た学校の遠足でもらって来た物です。

アメリカのカボチャは、日本のホクホクしたカボチャと違って、オレンジ色で見た目は可愛らしいのですが、水っぽくて食べてもあまり美味しくないのです。多分そのせいで、アメリカのカボチャを使った料理は、たいていスープか砂糖とシナモンをたっぷりと入れたパンプキンパイになります。

いつもは、ハロウィーンにカボチャをデコレーションしても、それを食べる事はないのですが、さすがに3つもあると、それを破棄してしまうのはもったいないような気がして、先日カボチャのスープを作りました。カボチャと玉ねぎをバターで炒めたあとで、鶏ガラスープを入れて、カボチャに火が通ったらそれをミキサーに入れてドロドロにし、最後に牛乳を加えてから塩で味付けしました。

思ったよりも結構美味しかったです。



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マイケル・ジャクソン

O. J. シンプソンの時程ではないにしても、マイケル・ジャクソンの死亡に関する主治医の責任を問う裁判の報道が加熱しています。特別に私はマイケル・ジャクソンのファンでも、ゴシップ好きでもないのですが、朝のテレビニュースを見ると、必ず5分位の時間を割いて裁判の経過についての報道や解説があるので、つい見てしまいます。

私を含め多くの人は、マイケル・ジャクソンの音楽性は認めながらも、家の敷地内に遊園地を作ったり、ペットにチンパンジーを飼っていたり、エレファントマンの骨を入手しようと試みるような、かなりのキワものだと思っていたはずです。でも、裁判が進行する中で、様々な事が明らかになると、生前には公表されなかったスーパースターであるが故の一個人としての苦悩や葛藤などが垣間見られて、気の毒に思ってしまいました。

様々な証言を繋ぎあわせてみると、マイケルは、異常なほど少年のように細い体型を保つ事に執着していて、食事の量も厳しく制限していたといいます。経済的にも苦しくなって来た晩年、計画されていたツアーを成功させる事に対するプレッシャーはかなりのものだったようです。故障だらけの体、睡眠不足、金銭面でのプレッシャー、仕事のプレッシャーがマイケルを処方箋中毒のような状態に陥らせる原因となったようです。

おそらく、マイケルのマレイ主治医は有罪となると思います。もしも、マレイ医師がマイケルの言うように睡眠剤や精神安定剤を処方しなかったとしたら、おそらくマイケルは彼を解雇して、何でも言う通りに処方箋を出してくれるような別の医師を雇う事になったのでしょう。でも、それが患者の言うなりになって、患者を死亡させた事のいいわけになるはずがありません。

リサ・マリー・プレスリーは、かつてマイケル・ジャクソンと確か2年間程結婚していたのですが、二人の本当の関係は何なのかと詮索の的となりました。彼女は終始一貫して、マイケルは幼児性愛者ではなく、二人の結婚生活も普通で夫婦生活もちゃんとあったと言っていました。当時から私にはそれが嘘だとは思えなかったのですが、やはり真実だったのでしょう。一つだけ興味深いと思ったのは、何かのトークショーにリサ・マリーと母親のプリシラ・プレスリーが出た時に、プリシラが「マイケルは、キング(エルビスの事)の子供が欲しかったから、リサ・マリーと結婚したのよ。」と言っていた事です。

いくつか起った、未成年男子を性的にいたずらしたという訴えも、金銭に目のくらんだ保護者が思いついたでっち上げだったという可能性が強そうです。そういう面倒くさいネガティブな事柄に延々を時間を費やしつづけ、精神的なダメージを受けるのが嫌だったんで、金銭解決という事になったんでしょう。

そして、更に追い打ちをかけるようなのが、マイケルの死後に突然湧いて出て来たような芸能人のマイケル賞賛。死人に鞭を打つ必用もないけれど、いままで忌み嫌っていた人物に対して手のひらを返したように態度が変わってしまうのは、見ていてあまりいい気持ちがしません。



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2011年10月26日

逗子の八幡様

私は今まで、神社は全て八幡宮だと思っていました。というのは、逗子にあるのは亀ヶ丘八幡宮、鎌倉にあるのも鶴ケ丘八幡宮なので、実家の近所の神社が八幡宮ばかりだったからです。ところが、八幡宮というのは最初の実在の天皇であるらしい応神天皇を祀った神社で、別の神社には別の天皇や神様が祀ってあるのだという事を昨日初めて知りました。無知というのは怖いですね。

何故こんな事を書くのかというと、今年の夏は、蝉の抜け殻を収集に逗子の八幡様へ度々立ち寄ったのですが、そこに行く度に、息子がお参りしたがるのは、本殿の八幡様ではなく、片隅にあるお稲荷さんや小さな石の祠の方なのです。端っこに並んでいる祠は何なのか、あれこれ質問されて答えに困りました。亀ヶ丘八幡宮のウェブサイトを見たら、天照大神や木花咲耶姫命を祀る祠だと書いてありました。

面白い事に、応神天皇の母親はかなり威勢が強かったと思われる神功皇后だし、お稲荷さんも荼枳尼天というインドの女性神の別名を持つし、天照大神も木花咲耶姫命も女性だし、かなり女性色の強い神社です。



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2011年10月24日

お子様仏教瞑想クラス

日曜の朝のお子様瞑想クラスに行って来ました。普通の建物の2階にあるセンターは、外見からは全くお寺という感じはしませんが、明らかにチベット仏教の一つの宗派の教えを広める役割を担っているようです。入るとセンターの左側が正面になっていて、蓮の花に座ったお釈迦様の像が中心に、その両脇にお釈迦様の像よりも小さな密教の仏像がいくつかひな壇に置いてあります。

実家の宗派が真言宗なので、祖母が祖父の命日には曼荼羅の掛け軸ようなものを飾り、お葬式では鳴りものが響き渡るキラキラな寺院で僧侶が「引導を渡す」儀式まで行うのを何度か見ている私にとっては、青い肌の仏様やら目が幾つもある仏様は、それほど異質には思えませんでした。

瞑想と言っても、実際に瞑想として座るのは5分〜10分ぐらいのものでした。来ていた子供の年令も、おそらく私の息子が一番年長で、他の子供達は4才か5才ぐらいのようなので、話を聞いている間も瞑想をしている間もじっとしているのが大変なので、殆どの時間はお供物の絵を描いたり、その宗派の教義に関する事でした。

実は私は、自分が仏教系幼稚園で学んでいたように、もっと一般的なお釈迦様に関する話を聞くのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。個人的な感想としては、息子をあえてその宗派の仏教徒にするつもりもないので、そこの宗派の教義を教えてもあまり有益ではないかな、と思いました。

考えてみれば、このようなキリスト教系日曜学校のようなシステムは、教えを積極的に広めようというエヴァンジェリズムの精神が根底にあるのでしょう。それだけに、西欧には受入れられやすいのだろうと思いますが、私が体験として知っているオーソドックスな日本の葬式仏教とは大きな差があります。

私は仏教からユダヤ・キリスト教系の世界に入ったので、その世界観の違いには驚きましたが、西欧の一神教の宗教観から、どちらかと言えば一種の哲学とも言えるような仏教の世界に入る人々は、どのように感じるのか不思議に思います。

まあ息子は気に入ったようなので、しばらくは行かせても良いだろうとは思っています。ただ、私は帰依できそうもないので、ずっとそこで瞑想を続けて行くわけには行かないだろうから、他の所も探した方が良さそうです。ブルックリンに曹洞宗のお寺があって、そこで座禅会をしているようなので、今度は私がまず参加して子供が混じっても大丈夫かどうか偵察して来ようと思っています。



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2011年10月22日

マッツァボールスープ

冬になると、マッツァボールスープというのをよく作ります。これは、ユダヤ料理の代表的なもので、ユダヤ人の家庭に育った人にはおなじみのスープです。マッツァという過ぎ越しの祭り(パスオーバー)の時に食べるイーストを入れない平たい、せんべいのようなパンを顆粒状にしたものから作るボール状の物をチキンスープに入れて食べるのです。文章で説明しても分かりにくいので、今日作ったスープを写真に撮りました。

ユダヤ人の家庭では、このスープは、パスオーバーの時期に食べると相場が決まっているようなのですが、息子の大好物なので、うちでは冬の間に何度も作ります。スープの素も売っているのですが、それを使うと塩辛いだけであまり美味しくないので、私はいつも鶏ガラ、セロリ、人参、玉ねぎからスープを取ります。

ユダや料理は、地域によって大きく異なるようなのですが、この他にゲフィルトフィッシュという不思議な魚のすりものを丸めたような独特な料理もパスオーバーの期間によく食べられます。これもマッツァの粉が入っているようです。売っている時に、ゼリー状のスープに入って、瓶詰めでうっているので、スーパーの店頭で見かけるとかなり不気味です。

でも、これは魚が原料だし、ピリッとしたホースラディッシュと一緒にたべるので、日本人の口には結構合うと思います。私も好きで、パスオーバーでもないのに、買って食べる事があります。

ニシンの酢漬けも私は好きなので、よく食べます。あれは本来ユダヤ料理というよりも、ヨーロッパ人の食べ物なのだろうと思いますが、アメリカではユダヤ人ぐらいしか食べないようで、コーシャー売り場に行かないと見つかりません。コストコに売っている瓶詰めが特に安くて美味しいので、私は夏でも冬でもパンに挟んで食べてしまいます。コハダの酢漬けを連想させるような味ですが、かなり甘めなのでわさび醤油には合いません。

魚系統の食べ物ばかりのようですが、鶏、七面鳥、牛などを食べる方がどちらかといえば一般的だと思います。特に牛の brisket(肩バラ肉、コーンビーフになる部分)をオーブンでじっくりと煮込んだ料理は、かなり美味しいです。

アメリカで生活していると、日本食中心の食生活は基本的に難しいので、なんでも手に入るものを普段は食べています。そのために、母親が日本人であるにも関わらず、息子の考える「おふくろの味」は上記のマッツァボールスープ等になるのだろうと思うと複雑な気分がします。



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