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2012年5月14日

肌の色

ニューヨークタイムスの週末版教育セクションに "Why Don't We Have Any White Kids?" と題された少々長い記事がありました。ニューヨークの公立小中学校では人種による隔離が進んでいるために、子供達に良い影響を与えないという内容です。

ニューヨークは、地域によって人種による住み分けがはっきりしています。例えば、マンハッタンは、ハーレム、イーストハーレムを除いて白人居住者の多い地域、スタテンアイランドは圧倒的にイタリア系の多い地域、ブロンクスは黒人と南米系の多い地域、ブルックリンは地域によって白人地域と黒人地域が別れていて、クイーンズは新しい移民が多く人種的な混在が見られます。と言っても、これはかなり大雑把な線引きで、実際はクイーンズのフォーレストヒルズには白人と中国人韓国人が多いとか、ブルックリンのクラウンハイツには黒人とウルトラオーソドックスのユダヤ人が多いとか、それぞれのコミュニティーにはそれぞれの特徴があります。

記事にある学校は特にブルックリンのチャータースクールという種類の公立学校に関してです。地域には白人の家族も住んでいるのですが、その子供達は優秀な子供達のみが入れる地域外の公立学校や私立学校に通っており、近隣の公立学校に入る子供達は黒人の子供達のみという状況になっているようです。

住んでいる地域も黒人が多く、社会的な繋がりや学校で顔を会わせるのも黒人のみという隔離された状況は、実際のアメリカ社会とは大きく異なります。そういう環境で育った子供達が学校を卒業して社会に出たり大学に進学した時に、他の人種の人々と顔を合わせてコミュニケーションを取らなければならない状況に置かれても、相手の肌の色しか目に入って来ないのではないか、とある保護者は記事の中で懸念していました。

そもそも日本人には、「相手の肌の色しか目に入って来ない」というのがどういう事なのか全く理解できない人もいると思います。例えば日本の公立小学校に若い白人アメリカ人の女性の英語教師が配属されたとします。その地域に白人は住んではいるけれど、特別に交流があるわけでもない程度の状況で、学校にいるたった一人の白人教師は、いつまでたっても白人教師でしかありません。その人がどういう教育信念を持った人なのか、どんな社会的な考え方を持った人なのかという人格がなかなか浮き出て来ないのが現状だと思います。

肌の色や表面的な雑作ではなく、その人物の内面を知る為には、儀礼的な挨拶だけではなく、もっと突っ込んだ会話が必要です。子どもだったら、同じクラスに違う肌の色をしていて、違う価値観を持った子どもがいると、そのクラスメートとの会話、友情、衝突、軋轢を通して、世の中には自分と異なった人々が存在するのだというのを経験として学ぶ事ができます。

当然ながら、日本では多彩な人種がいる小学校のクラスというのは、望んでも得られるものではないのですが、だからこそ日本のようなモノカルチャーの世界で生まれ育つ人間は、これからの国際化された世界を生きるにあたって、ある種のハンデキャップを潜在的に抱えていると理解するのは重要だろうと思います。



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2012年4月13日

電子書籍の談合訴訟和解

日本では、電子書籍の数自体がまだまだ少ないようですが、アメリカでは殆どとは言えないまでも、かなり多くの本が電子書籍として発売されており、私を含め既に利用している人は多いと思います。電子書籍は、もう10年位存在しているようですが、一般的になったのは2年程前にアマゾンがキンドルという電子書籍専門の端末を販売しだしてからです。その後、Kobo、Apple、Barnes and Noble (Nook) 等の様々な会社が市場に参入し、電子書籍はさらに一般化して行きました。

電子書籍自体は端末がないと読めない為に、最初に$100以上する端末を購入する必用がありますが、端末さえあれば、実際の本よりも格安の電子書籍を買う事ができるし、家が本でかさばる事もありません。

今日 class action law suit(複雑訴訟形態)という形をとり、アップルと5つの出版社が価格談合の疑いで民事訴訟されました。もともと電子書籍の小売り価格の設定は小売業者が行っていたのですが、アップルが市場に参入してからは、出版社が小売価格を設定するようになり、小売業者が自由に価格設定をできなくなったのだそうです。その裏には、アップルがiPadの発売に合わせ、それまで殆どアマゾンの独占状態にあった電子書籍のシェアを獲得する為に出版社に働きかけたのではないか(談合)という疑いがあります。出版社が電子書籍の価格を設定する事により、価格による市場競争がなくなれば、アップルの電子書籍の販売が容易になるからです。

数時間もたたないうちに、被告の5つの出版社のうちの3社は、既に和解に応じる声明を出しました。さらにその数時間後には、アマゾンが電子書籍の値段を下げるという声明も発表しています。より安く本が読めるようになるというのは、消費者としては喜ばしい事ですが、出版業界及び本のあり方が近い将来さらに大きく変わって行く事になりそうです。

アメリカの出版業界や書籍小売業者は、30年前と比べて既に大きく異なっています。それまでは、各地に点在していた独立した書店が今では大手の Barnes and Noble という本のチェーン店にとって変わっています。Barnes and Noble は、独立した書店よりも品揃えが良いのと広い店内にスターバックスを置いているために集客能力が高く、コーヒーを飲みながら座って本を読めるため、より長く客を店内に留めておくことで大いに成功しました。ところが Barnes and Noble は、電子書籍の販売では少々出遅れ、今では Nook という端末を販売しているものの、シェアはあまり大きくないようです。

これから電子書籍がさらに一般的になると、書店が姿を消すのではないかという懸念を持つ人もいるようです。今まで小さな書店を駆逐し続けた Barnes and Noble も今度はアマゾンに駆逐される日が来るのかも知れません。

本当に本屋が無くなるのかどうかは、私には予測しかねますが、このような経済の変化は恒常的なもので、良い悪いに関わらず決して止める事のできない流れだと思います。技術が進み新しい何かが出て来る度に、古いものは徐々に姿を消して行くものなのでしょう。インターネットに代わる媒体が近い将来出て来たとしても、全く驚くに値しません。

町工場への大手企業からの発注が全て中国へ流れてしまったり、会社がそれまでの従業員を解雇してあらたに契約社員ばかりを雇うようになったのも全て同様の事が違う業界で起っているだけです。生活が便利になった、物が安くなったと喜んでいると、今度は自分の足元をすくわれてしまうのです。

だからと言って、田舎で農業を始めて自給自足の生活に入ろうという気持ちはありません。農業も魅力的ではありますが、私の天職ではなさそうです。ただ、自分の回りや世界で何が起きているのかを知り、どうやったらこれからの世の中を生き残る事ができるのかを考えるのは、かつてないほど大切になってきたと思います。



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2012年3月24日

アメリカ人の顔に書いてある

アメリカ人には、分かりやすい人が多いと思います。こういう人かなと思ったら、やっぱりそういう人だったという事が多く、少々拍子抜けしてしまいます。例えば、初対面でとても良い人そうだけれど、本当に信頼できるのか迷っているとします。もう少し相手を良く知るようになって、やはり最初に感じたように信頼できる人だったと確信するケースが殆どです。怪しそうな人も結構一目見て分かるので、危険そうな人には近寄らないようにするというのも、あまり難しい事ではありません。

稀に、どうもよく分からない人々もいます。いい人なのか、騙そうとしているのか、それとも裏があるのか… なかなか腹の内が読めない人には、当然ながら注意が必用です。とても複雑な人もいるし、隠れたアジェンダを持っている人もいます。 

多くのアメリカ人の顔には、どういう人なのかあたかも書いてあるようなのです。あまり裏表がなく、こちら側が相手の本心を読もうとする努力をしなくても良いというのは、最初のうちはびっくりしましたが、却って気が楽です。英語で open book という表現がありますが、これは文字通り開いた本、秘密がなく全てが簡単に読まれてしまうような人を指します。そこまで単純な人はさすがにあまりいませんが、アメリカ人の人となりを察するのは比較的簡単です。

私自身も日本人ですが、日本人は本当に腹の底が読めない人が多いと思います。殆どの人は、表面上はそつがなく礼儀正しいのですが、本当は何を考えているのか明かさない複雑な人が多いのです。知り合って長々と会話が弾んで意気投合したのかと思ったのに、後日メールを出しても全く返事がなかったりすると、アメリカ人は困惑してしまうのです。おそらく、意気投合したと思っていたのはアメリカ人だけで、日本人はただ合わせていただけなんでしょうが、その辺をアメリカ人に読めと言っても無理です。

アメリカ人のビジネスマンは、日本人とのコミュニケーションの難しさを痛い程良く知っています。数回の話し合いを重ねて、お互いに合意が得られたと思ったら、実は日本側は不満だらけで話が決別し、わざわざ日本まで出かけて行った時間と苦労は一体何だったんだろうと後味の悪い思いだけが残ってしまいます。

もしかしたら、相手の心理を読みあうのが日本流、自分の心理を分かりやすく伝えるのがアメリカ流なのかもしれません。

アメリカ人でも、幼い子どもはまだ相手に自分の言いたい事を伝える事に長けていないので、大人がそれを察しないとかんしゃくを起こす事があります。そういう場合に大人は、子どもに自分の言いたい事は言葉にして現さないと誰も理解できない事を教えます。私の夫が息子に向かって "I am not a psychic. I don't understand if you don't speak what you want." 「お父さんは超能力者じゃないんだから、何が欲しいか言ってくれないとわからないよ。」と言うのを何度も聞いた事があります。

日本人だって、自分の意見を持っていないわけではありません。ただ自己表現をする人よりも他人に合わせる人が好まれがちな日本社会では、自分の意見はずっと人目に触れないようにしてあるだけです。アメリカでは、その大切に閉まってある自分の意見を持ち出さなければなりません。言わなければ、誰にも聞こえません。

いつも黙って聞いている人から、自分の意見が言えるまでになるのには訓練も必用ですが、自分の外側と内側が一致すれば、精神的なストレスも軽減されます。元々、相手を観察して理解するという術に優れている日本人が、自己表現の方法をマスターすれば、コミュニケーションの達人になれると思います。



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2012年2月1日

物事には、理由がある

様々な事柄が、そのようであるには、理由があリます。世の中には偶然はないというような神秘的な意味合いではありません。ダーウィンが種の起原で書いたように、蝶の羽に目玉の模様がついているのには、ちゃんとした理由があるのです。最初はほんの偶然で起った事柄でも、それによって何かの利益があった場合には、人間はそれを学んで次は必然的に同様の事を起こそうとします。もしかしたら、それは頭の良い学者が緻密な計算から導きだした経済学かもしれないし、スポーツ選手のジンクスかもしれない。あるいは、ライナスの毛布のような物かもしれません。ただ、いずれの場合も、理由があるのです。多くの場合には隠された、その理由を探求できる人間になりたいと思います。

家庭での手垢のついた日常のゴタゴタは、ややもすると偏りがちな心のバランスを取り戻す為にはとても役に立ちます。そういう意味では、全ての人に結婚して家庭を持つ事を勧めます。ただ、時には立ち止まって、色々検討して、じっくりと考える時間というのを意識的に取らないと、全てはどんどん頭の上を流れて行ってしまいます。

私はどちらかと言えば、思いつきで行動する所があり、後になってからもう少し考えを吟味すべきだったと後悔する事がよくあります。もういい年なので、これからはもっと良く考えてから行動に移したいと思います。そして、色々な事を見聞きしながら、学べる人間になりたいです。小学生の作文のようになってしまいましたが、文章にして記しておきたかったので、遅まきながら、新年の抱負でした。



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2011年11月27日

人間の躾、動物の躾

私が中学生だった頃は、教師が生徒に体罰を加えるのが珍しくありませんでした。戸塚ヨットスクールの死亡事故も起きる前だったし、体罰も躾のうちという風潮がまだまだ強かった時代です。私の通った久木中学校が特に荒れていたというわけではなかったと思います。普通の公立中学で、生徒の学力の差も大きかったし、親の経済力の差も大きかったと思うので、どちらかと言えば様々な生徒がいる層の厚い学校だったと思います。

私の家庭はと言えば、子供の教育に熱心だったわけでもないのですが、親が子供を叩いてしつけるという環境でもありませんでした。まだまだ和気あいあいとした雰囲気の残る小学校では体罰の類は普通はないので、中学に入った途端、竹刀を持ち歩き、体罰を加える体育教師を目にして、妙に大人になったような気がしたものです。

最近、友人が親戚の家を尋ねた時に、その家の子供達は体罰で言う事を聞く習慣が付いているので、友人が言葉で注意しても全然言う事を聞かないという事を言っていました。アメリカの学校では決して体罰を加える事はないので(体罰は傷害事件として扱われるため)子供達は先生の言う事も聞かないそうです。

私は犬を飼った事がないのですが、テレビを見ていた時に犬をしつけるエキスパートという人が出ていました。オプラの友人で Dog Wisperer と言われている人です。素行が悪い大型犬の躾のポイントは、犬に飼い主がボスである事を知らしめ、服従させるという所にあるそうです。犬には論理が通じないので、基本的には体罰で憶えさせます。それゆえ、飼い主の弱みや優柔不断な態度は決して犬に見せてはならないのだそうです。それが自然界に於ける動物集団の法則なのだそうです。もしも、犬が飼い主や飼い主の家族や友人に噛み付いた場合には、もう危険なので安楽死させるそうです。

様々な大型のペットに襲撃された悲惨な事件は、たびたびニュースになります。飼い主と大型ペットの主従関係は、飼い主の力が絶対的な間はうまく行っても、飼い主が老化したり病気になり、力のバランスが微妙になった時に、ペットが今までのボスを抹殺して自分がボスになろうとするようです。

人間の子供の体罰も犬の躾と似通った理論なのだろうと思います。子供は体罰を恐れて言う事を聞くだろうし、手っ取り早い事もあると思います。ただ、人間の世界は動物の世界よりもずっと複雑です。必ずしも体力的に優れたものが頂点に立つわけでもなければ、頭の良いものが頂点に立つわけでもありません。職業も細分化されている為に、様々なプロフェッショナルが存在し、それぞれの個人の興味や特色を生かした職業に就く事ができれば、社会に貢献できるし、集団のトップに立つ事はなくても、十分に満たされた一生を送る事ができます。このような複雑な社会構造は決して体罰で教える事ができません。

子育ては、自分がやってみて初めて分かったのですが、迷路のようです。明らかに才能があると思われる私の息子は、強い学習障害があるために、未だにその潜在的な能力を発揮できずにいます。息子との日々の戦いに疲れ果て、夫が苛立ちを募らせた結果、息子のお尻を叩いた事もあります。おそらく、あの時が最悪だったと思います。息子は更に反抗し、萎縮し、劣等感を募らせて行きました。

それから少しずつ、親も勉強し、学校との協力体制も整い始め、ようやく今まで失った分をこれから取り返そうとしている所です。このような方向転換が出来たのも、洞察力に優れた息子の担任と、息子の才能を決して疑う事のない夫の強い信念に依るところが大きいと思います。

子どもは個性を持って産まれて来ます。子どもの教育や躾は、それぞれの子どもに合わせて行われるべきで、枠からはみ出してしまった子どもを体罰で矯正しようというのは、子どもの個性を理解しようとせず、物事を手っ取り早く単純に片付けたい親や教育者の怠慢だと思います。自分の感情や状況を上手に言葉で表現する事のできない子どもを理解するのは至難の技ですが、それを行う価値は十分すぎる程にあります。



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2011年11月26日

ブラック・フライデー

今年のブラックフライデーは、ウォールマートに始まりウォールマートに終わったという感があります。昨日はウォールマートの広告に拳銃とライフルが載っていたと思い驚いていたら、今日のニュースでは9件のウォールマートでブラックフライデーにまつわる傷害事件が起きたと報道されていました。

LAでは、いち早く目玉商品のXboxを獲得しようとした女性買い物客が他の買い物客に向かって唐辛子スプレーを吹き付けたそうです。他のウォールマートでは、商品争奪戦にスタンガンを使った客、買い物が終わって帰路についた客を襲った強盗もあったそうです。どれも数ドルから十数ドルほどの値下げにまつわる事件で、しかも全てがウォールマートで起っているのだから凄いです。

ニューヨーク市には、ターゲットやKマートはあるのに、ウォールマートはありません。私の記憶が正しければ、何度かウォールマートがニューヨーク市に店舗をオープンしようとした事はあったと思いますが、いずれの時も反対運動が起きて実現しませんでした。ウォールマートは、正社員を採用せず、最低賃金のパートを使い、医療保険等も一切支給しないので有名です。そのような雇用システムに疑問を持つ人がニューヨーク市には沢山いるのです。

私はネットでショッピングをする事が多いのですが、品物検索をすると稀にウォールマートの商品が引っかかって来る事があります。確かに、品質は少々劣るかも知れませんが、値段は安いです。同じ商品が他よりも安く売っているのを見ると、私もウォールマートから物を買おうかどうか迷う事があります。それでも、未だにウォールマートからは一度も買物をした事がないのは、やはり会社の経営方針に嫌悪感を感じるからです。ウォールマートで買い物して、ウォールマートで働くと、さらに貧乏になって行くという因果関係があります。

ウォールマートは、創設者の遺族が株の多くを今でも所有している珍しい会社でもあります。創始者の遺族は、まさにアメリカの1%の裕福層に属する人々で、ついこの前も創始者の娘が新しく美術館を創設したというニュースを見ました。今が第二の Guilded Age と呼ばれる所以です。



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2011年11月18日

CSAの配布



私は、元々肉が好きなタイプでした。野菜は、生でも煮ても炒めても蒸してもあまり美味しいとは思わないけれど、お務めのように食べていました。だからと言って、お菓子やジャンクフードが好きだったわけではなく、どちらかと言えば食事がすきなのです。

今年の春から近所のCSA (Community Supported Agriculture の略)に加入しました。日本では提携というのだとウィキに書いてありましたが、コープとは全く異なります。近郊にある農場と季節ごとの契約を結び料金を先払いするので、農場とすれば野菜を育てる前から引き取り人が決まっているので、安定した農場経営が可能になります。消費者の立場から見れば、野菜の種類は選べませんが、新鮮な旬の野菜が毎週手に入る事になります。天候が良く豊作ならば、沢山のゴージャスな野菜が配布されますが、悪天候が続けば、野菜の量や質は落ちてしまうというリスクはあります。CSAが必ずしも有機農法を行っている農場と契約しているわけではないと思いますが、CSA契約を行っている農場は有機農法を行っている所が多いようです。

何故CSAに興味を持ったのかと言えば、Supersize Me というドキュメンタリーの映画を見た事がきっかけです。私の大好きな Mark Bitmann というニューヨークタイムスの食品評論家もCSAに関して度々紙面に書いています。どのような内容に危機を感じたかに関しては、あえてここでは書かないので、興味のある方は調べてみて下さい。

近所でCSAはないかと探してみたら、私の住むアパートのはす向かいの教会で集荷と配布を行っている事が分かったので、最初は夫に内緒で加入しました。ここ数年、私の家庭は経済的に厳しいので、22週間の野菜に350ドルを支払う事に対してかなりの抵抗があり、言えば夫は絶対に反対すると思ったからです。計算すると、一日約2ドルを野菜に費やす事になります。オーガニックなので安いと言えば安いのですが、普通に生活していて一週間に14ドルも野菜を買う人は少ないと思います。残念ながら、最低限の生活をしている家庭では、野菜は贅沢品の部類に入ってしまうのです。

興味半分、半信半疑で始めたCSAですが、配布された野菜は、新鮮だからかそれともオーガニックだからか、とてもおいしく、夫も私も完全に癖になりました。野菜には本来味があって美味しいものなのだと分かると、食生活も自然と野菜中心になって来ました。気がついてみると、野菜は満腹になるまで食べても、肉類を食べたときのような胃もたれ感がないのです。

誠に素晴らしいCSAで、多くの人が野菜本来の美味しさを知れば、ジャンクフードや過剰に加工された食品の消費も少なくなり、生活病や成人病も減ると思うのですが、大きな問題があります。他の国ではどうなのか分かりませんが、少なくともアメリカでは、健康的な食生活を送るためには、少なからずお金がかかるのです。どういうわけか、過度に加工された、いかにも体に悪い食品のほうが、そのままの野菜や肉類を買うよりも安いのです。

CSAに加入している人々は、高学歴で30代までの若くて自由業っぽい人が殆どです。ある程度金銭的な余裕があり、独身で健康に気を遣っているためか、太っている人は皆無、ベジタリアンの比率も多いと思います。でも、本当の意味で sustainability という事を考え、地域での食品の自給率を上げ、糖尿病などの生活病を少なくする事を目標とするならば、新鮮な野菜やオーガニックの食品は収入の低い人々ににこそ容易に手が届くようでなければならないはずです。

幸い多くのCSAは、近郊の農場から野菜等を買う事によって、周辺の環境を自分達で変えて行こうというモラルに基づいて活動しているので、より多くの人びとに野菜や肉等を購入してもらう為に、低所得者の枠がある所が多いようです。NYCHAのハウジング・プロジェクトがある周辺のCSAでは、フードスタンプから毎月直接費用を引き下ろせるシステムもできているようです。

以外と遠いようで近いCSA。今はインターネットという便利なものがあるので、こういう類のものも簡単に見つける事ができるようになりました。そして、さっきメールで連絡が来たのですが、今年の冬から来年の春にかけてもCSAの配布を受ける事になりました。何が来るのか今から楽しみにしています。



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2011年11月11日

お供え

先日、蕪と油揚げのみそ汁を作ったところ、子供が油揚げばかりを拾って食べていました。そこで息子に、
「蕪も食べてよ、美味しいんだから。そういえば、日本に行った時に、狐の神社があったでしょう?あの狐は、お稲荷さんっていって、油揚げが好きだから、お供えする事もあるんだよ。」
と言ったら、
「お供えすると、見返りがあるの?」
という鋭い質問が帰って来ました。

お供えというのは、この前子供と行ったチベット仏教の瞑想のクラスでも実はテーマとなっていました。そこでのお供えは、幾つものグラスに並々と注がれた水なのですが、確かに日々の生活の中でお供えをする、例え水だけでも食べ物でも何でも良いから、自分の生活の中の一部を別に取っておく。そしてそれは自分の為には使わないという習慣をつけるのは大切な事だと思いました。



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2011年11月2日

庶民の怒り

アメリカにはNetflixという、映画のストリーミング配信と郵便によるDVDレンタルを行っている会社があります。私もそこの会員です。今年の夏頃、今まで一つのサービスだったストリーミング配信とレンタルを分けて別会社、別料金にするという告知がありました。値段も今までの倍近くなります。

会員は、怒ってNetflixをボイコットし始めました。わたしは、DVDレンタルをあきらめ、ストリーミング配信のみの会員に変更しました。それでも、Netflixはやって行けると読んだのでしょう。社長の謝罪ビデオをネットで公表したものの、実際の計画は変更せずに強気でした。ところが会員数は減少し続け、10月の末には、株価がそれまでの最高株価の1/3にまで下落してしまいました。

Netflixの料金増加には、事業コストの増加と世界に事業を拡大させる目論みがあったのですが、ここまで状況が悪化してしまうと、事業の継続自体難しくなって来るだろうし、当然の事ながら、世界進出の計画も変更せざるを得ないだろうと思います。

Bank of America、アメリカで二番目に大きな銀行が、デビットカードの使用毎に5ドルの手数料を取る事を一月程前に発表しました。カードの一回の使用毎に5ドル、日本円にして約500円の手数料というのは、かなりぼったくりのような気がします。日本でのデビットカードの浸透がどのくらいなのかは分かりませんが、アメリカでは、クレジットカードが使える所では、大抵デビットカードも使えるようになっており、スーパーで牛乳を買う時にもデビットカードを使う人が大勢います。

私はBank of Americaに口座を持っていないのですが、発表を知った顧客はかなり怒ったようで、カードを使う度に5ドルの手数料を支払いたくない為に、口座をBank of Americaから他の銀行へ移した人が少なくなかったようです。Bank of Americaのデビットカード手数料徴収の告知の後、他の銀行も足並みを揃えたようにデビットカードの手数料を発表していたのですが、10月終わりの時点で他の銀行からは手数料徴収は白紙に戻すという決定が既に出ていました。結局Bank of Americaのみが最後に取り残された形となり、Bank of Americaもとうとう11月1日に手数料を取らないという発表を出しました。

Bank of Americaは、元々アメリカ西海岸を本拠地とする銀行ですが、ここ数年の吸収合併によって急速に巨大化した銀行です。サブプライムローンの焦げ付きによって出た損失をおぎなうために多額の税金が2009年にはつぎ込まれました。その上での今回の料金増加と30,000人の大量解雇発表、銀行はBank of Americaだけではないのだから、他に乗り換えようとする人が出て当然です。

この二つの企業の例は、最近のアメリカ経済を如実に現す興味深い例だと思いました。企業は収益を増やし事業を拡大する為に、国民の収入が減少しているにも関わらず強気で料金の増加を進めようとするのですが、アメリカ国民の経済的体力は企業が分析するよりもずっと低下しているのです。企業の理事会に出席する人々は、Occupy Wall Streetの参加者が叫んでいるように、もしかしたら本当に一般人の生活の苦しさが全然分かっていないのではないかと疑ってしまいます。



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2011年11月1日

伴侶

友人が、大きな仕事の契約をする直前になって、契約内容に釈然としない所があったので、弁護士や親しい人々に聞いてみたら、その契約は胡散臭いので止めた方が良いという事になったという話を聞きました。ところが、その契約が怪しいかも知れないと最初に警鐘を鳴らしたのは、御主人だったのだそうです。

私も夫に仕事に関してあれこれ話を聞いてもらう事は、よくあります。夫は同業者ではないので、細かい仕事の事は話しても理解してもらえませんが、契約段階でのあれこれ、問題がこじれたときの対処の仕方など、一人で考え込んでいるよりも、誰かに話をするだけで、自分の気持ちの持ち様が変わって来る事もあります。夫は、私にとっては世の中で一番信頼できる人物だし、夫婦なだけに私と利害関係もほぼ一致しているし、いつも側にいるから話をしやすいし、私の一番醜悪な部分さえもよく承知しています。のろけるわけではありませんが、夫は片付けが下手で手際が悪いけれども、稀に見るモラルの高い人物だと思っているので、夫の意見を参考にする事はよくあります。

結婚する前は、夫婦というのがこんなに奥が深いものだとは、想像も出来ませんでした。結婚した時に「信頼できる人が側にいるというのは、とても良い事。おめでとう。」と言われた事があるのを今回思い出しました。こういう深い信頼関係が夫婦の核となる部分なんでしょうね。



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2011年10月31日

刺青

座禅会に行った時に、いくつかの刺青が目に入りました。アメリカ人は日本人よりも刺青の敷居が低いし、どういうわけか東洋文化に系統している若者は漢字の刺青を首の後ろに入れるという傾向があるので、刺青を入れているからと言って、極悪なわけではありません。

ただ、刺青は入れる時に痛いし、消えないのから、いくらその時には素敵だと思っても、結局は烙印を一生背負い続ける事になるわけです。そこまで深く考えずに刺青を入れるにしても、充分考えて承知の上で入れるにしても、刺青を入れるだけの度胸を持った人は、ある意味で凄いと思います。ある意味、人生を放り投げてしまえるだけの度量というか向こう見ずさというか、そういう資質を持っている事を刺青は物語っているような気がします。



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2011年10月30日

座禅会

ブルックリンにある曹洞宗の禅教室に行って来ました。私個人としては、なかなか興味深いと思ったけれど、8才の息子が40分間座れるかと言えば、大いに疑問です。ただ、座り方を教えてくれるので、やろうと思えば家でもできるというのは、大きな利点だと思いました。

私は今まで、座禅をした事もないし、禅宗も知らない全くの初心者なので、一から指導してもら為に、40分の座禅会の前に行われる説明から顔を出しました。禅堂の正面には木彫りのお釈迦様、その反対側には観音様が安置してあり、普通にお寺にあるような木魚や巨大なリンはあるものの、あとは座布団と饅頭のような形をした座禅クッションのみ。しかも曹洞宗や仏教全般の教義の説明は一切なく、最初から座禅の座り方、禅堂に入るときの礼儀の説明です。単刀直入で実務的なのは、非アジア人に指導する事に焦点を絞ったからなのでしょうか、ニューヨークという土地柄に合わせたのでしょうか、それともこれが禅宗というものなのでしょうか。

座る形が自然に様になっていてよろしいと褒められましたが、座る文化で育っている日本人が座れば、私のような初心者でさえアメリカ人よりも形になるのは当たり前です。40分間でも座ること自体は、全然辛くありませんでした。

目は完全に閉じずにうっすらと開けて瞑想するのは、甘美な妄想にふけろうとする心を、目開けている事によって視覚的に制御するためのようです。それでも、様々な日常の事柄は瞑想をしようとする心に浮かんで来るもの。今日は特に雨の音が聞こえて来たので、目を瞑ってそれに聞き入っていたいという欲望が出て来るのですが、目を開けていると白い壁が見えて、現実の世界に引き戻されます。集中しているわけでもなく、集中していないわけでもなく、ただそこにいる自分を見つめるというのは、本当に精神の修行だと思いました。

子供を連れて行く前に、夫を行かせてみます。



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2011年10月29日

マイケル・ジャクソン

O. J. シンプソンの時程ではないにしても、マイケル・ジャクソンの死亡に関する主治医の責任を問う裁判の報道が加熱しています。特別に私はマイケル・ジャクソンのファンでも、ゴシップ好きでもないのですが、朝のテレビニュースを見ると、必ず5分位の時間を割いて裁判の経過についての報道や解説があるので、つい見てしまいます。

私を含め多くの人は、マイケル・ジャクソンの音楽性は認めながらも、家の敷地内に遊園地を作ったり、ペットにチンパンジーを飼っていたり、エレファントマンの骨を入手しようと試みるような、かなりのキワものだと思っていたはずです。でも、裁判が進行する中で、様々な事が明らかになると、生前には公表されなかったスーパースターであるが故の一個人としての苦悩や葛藤などが垣間見られて、気の毒に思ってしまいました。

様々な証言を繋ぎあわせてみると、マイケルは、異常なほど少年のように細い体型を保つ事に執着していて、食事の量も厳しく制限していたといいます。経済的にも苦しくなって来た晩年、計画されていたツアーを成功させる事に対するプレッシャーはかなりのものだったようです。故障だらけの体、睡眠不足、金銭面でのプレッシャー、仕事のプレッシャーがマイケルを処方箋中毒のような状態に陥らせる原因となったようです。

おそらく、マイケルのマレイ主治医は有罪となると思います。もしも、マレイ医師がマイケルの言うように睡眠剤や精神安定剤を処方しなかったとしたら、おそらくマイケルは彼を解雇して、何でも言う通りに処方箋を出してくれるような別の医師を雇う事になったのでしょう。でも、それが患者の言うなりになって、患者を死亡させた事のいいわけになるはずがありません。

リサ・マリー・プレスリーは、かつてマイケル・ジャクソンと確か2年間程結婚していたのですが、二人の本当の関係は何なのかと詮索の的となりました。彼女は終始一貫して、マイケルは幼児性愛者ではなく、二人の結婚生活も普通で夫婦生活もちゃんとあったと言っていました。当時から私にはそれが嘘だとは思えなかったのですが、やはり真実だったのでしょう。一つだけ興味深いと思ったのは、何かのトークショーにリサ・マリーと母親のプリシラ・プレスリーが出た時に、プリシラが「マイケルは、キング(エルビスの事)の子供が欲しかったから、リサ・マリーと結婚したのよ。」と言っていた事です。

いくつか起った、未成年男子を性的にいたずらしたという訴えも、金銭に目のくらんだ保護者が思いついたでっち上げだったという可能性が強そうです。そういう面倒くさいネガティブな事柄に延々を時間を費やしつづけ、精神的なダメージを受けるのが嫌だったんで、金銭解決という事になったんでしょう。

そして、更に追い打ちをかけるようなのが、マイケルの死後に突然湧いて出て来たような芸能人のマイケル賞賛。死人に鞭を打つ必用もないけれど、いままで忌み嫌っていた人物に対して手のひらを返したように態度が変わってしまうのは、見ていてあまりいい気持ちがしません。



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2011年10月15日

雨の日の妄想

ニューヨークのような大都会にも、人が足を踏み入れた事がないような森の奥深くにも、大海原にも、同様に雨は降ります。今も昔も。そんな事を今日みたいな雨の日に妄想するのが好きです。

マンハッタンに、まだヨーロッパ人が足を踏み入れる前、ブロードウェイがまだけもの道だった頃も、今と同じように雨が降っていたのだろうと考えると、風景から、ビルや道路や信号や人々や音までが消えて行き、所々にある沼地と木々の間に静かに降る雨が想像できます。

その昔、今から400年程前、マンハッタンはマナハッタと呼ばれた島だったといいます。今のような超大都会になるまでには、様々な変遷があったのでしょうが、雨が降ると、そんな人間の活動も地球の歴史の上では一瞬に過ぎないのだということを思い知らされます。

昔のマンハッタンに関しては、詳しくはナショナル・ジオグラフィックのウェブサイトに興味深い話が載っています。写真もそこから拝借しました。



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2011年10月14日

ウォールストリートの座り込み(その3)

私がデザイナーとして仕事を請け負い始めたのが2005年、それから2〜3年程は順調に仕事の量も増えていきました。次の年はまともな売り上げがあるだろうと思っていた矢先にリーマンブラザーズが倒産、今までのクライアントが倒産したり事業を縮小したり、デザインに充てる予算が極端に少なくなりました。企業に資金がないわけではないのでしょうが、今はそれをしっかりと保持することが重要で、デザイン等にはあまり使わない傾向にあるようです。

商売をしていると、新聞やテレビのニュースになる前に、世の中の景気が手に取るように良く分かります。今年の始めに少しは持ち直した感があったのですが、それも夏に帳消しにされ、現在は今までになく閉塞感が漂っています。残念ながら、アメリカの経済が近い将来に好転するような見通しは一切ありません。

ウォールストリートの座り込み運動に、たまにでも参加したい気持ちも理由もあるのですが、なかなかダウンタウンまで飛んで行けないわけが3つあります。1つ目は家庭。夫は放っておいても大丈夫ですが、子供はそういうわけにも行きません。大抵のデモが夕方のニュースの直前に行われるので、子持ちが参加するのは難しいのです。午前中やお昼頃の出来事は、夕方のニュースの時間まで持たない傾向にあるので、注目を集める為のデモ等は時間を選んで行われるのです。

2つ目の理由は、座り込みをしている人々のヒッピー感覚やフォークソング感覚に、私はいまいち馴染めないのです。年配の人達も中にはいますが、その人たちはおそらく、本家本元のヒッピー世代なのではないかと思います。問題は、歌やファッションではないという事は理解できるのですが、すぐ側でギターをひいて叫ぶように歌われると、ちょっとさめてしまう自分がいます。やはり、大半の参加者はとても若いのです。

3つ目の理由は、この座り込みが行き着く先はどこなのか、何を求めているのか、良く分からないという事です。エジプトを民衆が変えるように見えた後で、イスラム教過激派が事態を掌握しようとしている状況を見ると、今ウォールストリートの運動を支持したところで、ティーパーティーみたいな小賢しい団体に、最後は結果をさらわれる可能性もあるのかと思うと、積極的になれない気がするのです。

テレビのインタビューで「これだけ大きな運動に発展すれば、そしてこれからも拡大し続けて行けば、政治家なんて気にしなくていいようになる。」というような、とてもナイーブな発言を参加者の口から聞くと、余計心配になって来ます。毎日のように、ウォールストリート座り込みの話題がニュースで取り上げられるようになっても、まだまだ状況は流動的で危ういように思えます。

明日の早朝には、座り込み現場の公園をニューヨーク市が清掃しようとしているらしく、もしかしたら大きな衝突になる可能性もあります。



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2011年10月12日

芸術を愛でる感覚

先日書いたように、私は新聞やノンフィクションは読みますが、小説を読む事はごく稀です。あまり「お話」を読む気がしないのです。音楽も最近はそこそこ聞きますが、全く聞かなくても平気です。美術館もMoMAの現代美術よりもMetropolitan Museum of Artダマスカス商人の居間(先日行ったら、イスラム美術のセクションは、残念ながら改装中でした。)を眺めている方が好きです。

面白い事に、私の息子は全く逆のタイプです。お話を読みながら空想の世界をさまようのが好きなようで、放っておけば何時間でも読み続けたりしますが、ノンフィクションは嫌いで読ませようとしてもなかなか先に進みません。音楽も既に自分の趣味を持っているし、MoMAでは、3㎝程の厚さの黒いゴムの床材が丸めて床に置いてある、どう理解したらいいのか分からないような展示を見て「見て、この影すごい綺麗だよ。」と言うのです。息子には、私と見えている物が違うのだというのがその時に解りました。でもMetropolitan Museum of Artは、少々退屈なようです。

MoMAの分館でPS1というのがロング・アイランド・シティーにあります。観光客でそこまでわざわざ足を伸ばす人はあまりいませんが、去年MoMAのメンバーだった時には、家から近いこともあってしばしば訪れました。そこはPS1という名が示すように、以前は小学校 (Primary School) だった古い建物を美術館に改装して使っています。

そこで以前行われていた映像の展示を息子が見入っているのに気がつきました。作家名はもう忘れてしまったのですが、一つの何気ない物から足が生えて別の物に変化して、それが更に又別の物に変化して… という連続が映像になっています。そこに夫が入って来て「僕はこういうのが、子供の頃にずっと頭の中にあったんだよね。ただ、それをどうやって表現するか、全く分からなかったから、芸術家にはならなかったんだけど。」と、大いに共感を示しているのです。

デザインの仕事をしている私よりも、保険屋の夫と8才の息子の方が芸術を愛でる感覚に鋭いとは、何とも皮肉なものです。



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2011年10月9日

Something So Right

私の育った環境は、芸術の類とは無縁だった為に、子供の頃に影響された音楽や文学というのがあまりありません。今でも新聞やノンフィクションは読めるけれども、小説を読むのは苦手です。音楽はテレビの歌謡曲や母の美容室で聞いたFM横浜から流れて来た音楽以外は、物心ついてから手探りで自分で選んで聞くようになりました。

私はあまり歌詞を味わうのが好きではありません。余りにも湿っぽい歌詞は感動するよりも引いてしまうし、元気の良すぎる歌詞も疲れてしまうからです。音楽を選ぶときの重要なポイントが歌詞ではないと、様々な種類の音楽を同じレベルで聞く事ができるメリットはありますが、10代の頃に密かにタンゴを聞いていて、怪訝に思われた事もあります。

ところが世の中には、音楽に乗った歌詞が聞き手の頭にす〜っと入り込んでしまうように歌ってしまう素晴らしい唄い手がいます。聞こうと思わなくても、聞いてしまうんだから凄いです。表現力というのでしょうか。ポール・サイモンがその一人だと思います。特別に歌唱力があるとかうまいというわけでもないと思うのですが、彼の語りかけるような歌い方には思わず聞き入ってしまいます。

ポール・サイモンは若くして成功を納めた人ですが、Something So Right を聞くと、彼の感性に驚かされます。このメローな曲の内向的な歌詞には、多くの日本人が強く共感して不思議ではないのですが、アニー・レノックスを始め多くの歌手がこの曲をカバーしている事から、何事もバリバリとこなす怪物かブルドーザーのように見える西欧人も心の奥底に傷つきやすい部分を持っているのだというのがわかります。

表現というのは、自分の奥底から出て来るもので、ある程度の真実がなければ成り立たないものです。何かを伝えたいという真実があれば、技術の未熟さなど気にならない事もしばしばあります。これに初めて気がついたのは、20代の前半に聖書の勉強をしていた時でした。主宰しているイタリア人の宣教師がおぼつかない英語で読む聖書の言葉の方が、メンバーの日本人が読む聖書の言葉よりも心に訴えかけてきたのには驚かされました。

45才にもなって自分の真実とは何なのだろうと、私は問うています。



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2011年10月8日

日本とアメリカの教育

アメリカの新学期は9月です。息子も3年生になって1ヶ月程経ちました。幸い新しいクラスに馴染み、友達もできたようで、親としては胸をなで下ろしています。

アメリカの公立小学校の1クラスの生徒数は、地方自治体と学年によって大きく異なり、場所によっては14人ぐらいの素晴らしい所もある一方、ニューヨーク市みたいに30人程もいる所もあります。固定資産税が高い裕福な地域は、教育に充てられる税金も多く、1クラスの生徒数が少ない傾向にあるようです。

息子が小学校1年生の夏に、逗子小学校へ2週間の体験入学をさせてもらうことができました。私が通った頃とは全く違う、最新式の見違えるような学校でした。子供の日本語が心配だった私は、一日だけ授業の内容を見学させてもらいました。その時の1クラスの生徒数が約40人程でした。私が子供の頃も同じような生徒数だったと思いますが、40人の6歳児を先生が一人で指導するのは、並大抵の事ではないと思います。それでも特別にクラスの規律を乱すような子供も見当たらず、先生も上手にクラスを指導していたので、とても感心しました。アメリカ人の1年生を集めて40人クラスにしたら、完璧な地獄状態になる事は間違いありません。

息子の入ったクラスの担任をしていた先生は、かなりのベテランで生徒との信頼関係も確立されていたようで、クラス運営のツボみたいなものを心得ていたように思います。でも、それと同時に勉強の指導が必用な子供達が殆どいないというのも40人クラスが成立しうる理由なのだろうと思いました。おそらく日本では、沢山の子供達が塾へ通っているからでしょう。私も塾へ通った子供の一人なのですが、塾へ通っていると学校で初めて習う事は殆どなく、全てが簡単にできる復習でした。

アメリカには、塾というようなものが存在しません。個人で勉強を教える家庭教師のようなチューターというのはあるし、公文に通っている子供もたまにいますが、基本的に勉強は学校でするもの、毎日の宿題は親が責任を持って見てやるものと相場が決まっています。両親が働いている場合でも、親は仕事から帰った後に子供のやった宿題に毎日目を通して、間違っている所があれば、やり直させたりします。もしも悪い学区に住んでいる場合には、子供を私立の学校に入れたり、ニューヨークだと子供の学校の為に引っ越しまでする家庭も珍しくありません。子供の成績に関しては、学校と親の責任がかなり重いのです。

ついこの前、日本が教育に使っている税金の割合が先進国の中でもかなり低いというニュースがあり、私は驚きました。日本人の教育レベルがそれでも高いのは、親が子供の教育に対して高額な投資をしているからなのでしょう。つまり日本の政府は、子供にかけるべき教育の費用を一般家庭に丸投げしているのです。アメリカの教育問題は、既によく知られている所だと思いますが、日本の教育問題もかなり深刻なようです。



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2011年10月7日

もうすぐ死ぬとしたら…

スティーブ・ジョブズが亡くなりました。仕事柄もあって、私はMacを使うのですが、そうでなくてもMac製品の無駄を省いた美観と使い心地が好きです。ギークではない私でも、少々の不具合ならば自分で直せるのがMacの良い所だし、ファインダーも見やすく、ファイル整理もしやすいのです。ウィンドーズではそうは行きません。

今日はいちにち、スティーブ・ジョブズの訃報でテレビやネットは溢れていました。その中で、2005年に行われたスタンフォード大学の卒業式祝辞のビデオが何度か使われていました。とても素晴らしい祝辞です。英語なのですが、上のリンクからビデオも原稿も見る事ができます。(追記:日本語訳もネットで見つけました。訳の仕方によって、ずいぶん雰囲気が変わるものですね。興味深いです。)

何を言っているのかというと、自分の生と死とそれまでの人生を例に挙げ、本当にやりたい事を見つけなさい、見つからなかったら、妥協せずに探し続けなさい、時には死と直面した時に自分の本当にやりたい事が見えて来ることもある… という内容をもっと雄弁に、スティーブ・ジョブズの説得力をもって語っています。

実は、私がブログを始めたのもそれなのです。私は、国文学を勉強した事もなければ、小説さえ碌に読んだ事がありません。子供の頃に作文が得意だったわけでもありません。でも、自分の中にあるものを書いて表現しないでは死ねないのです。いままで、何かを書くなんて夢にも思っていなかったのに不思議です。

また数ヶ月後には、別の事に興味が移っているのかもしれません。でも、それならそれでいいんだと思いました。



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2011年10月5日

ウォールストリート座り込みを見て来て

仕事のミーティングの後に、ウォールストリートの座り込みを見て来ました。率直な感想は、思ったよりも汚い… ネットで色々と発信しているし、サポートも色々あって、テレビでも報道されているので、もう少しまとまっているのかと思ったら、そういうわけでもなさそうです。狭い広場にヒッピー風の若者あり、寝袋に包まって寝ている人あり、ラップトップでなにかやっている人あり、広場の回りをバナーを掲げて練り歩いている人々あり、大声を張り上げて声明を発表している人あり、明日のデモのチラシを配っている人あり、報道陣あり、警官あり、野次馬有り(私もその一人)、食べ物を売るテキ屋あり、炊き出しあり、様々な階層や団体が入り交じっていて、混沌としていました。

今、広場で座り込みをしている人達の役割は、とにかく注目を集める事にあるのだろうと思いますが、その点からすれば、第一次段階は成功だと思います。アメリカ中に不満が募っているのは事実だし、それが吹き出した一つの形がティーパーティーであるように、また別の形で現れたのがこのウォールストリートの座り込みだと思います。不満を体現するだけの時間がある失業者が多いのもこれまた事実です。

アメリカの既に確立された社会構造は、中東の独裁政権や王制などよりも多角的で堅固です。これを揺さぶるのは並大抵の事ではありません。座り込みだけでは、何も変わらない事は明白です。この混沌の状態から組織化がはかれないと、そのうちに運動も消えてしまうか、どこかの既製団体に乗っ取られてしまうでしょう。ただ、とにかく何かをやり始め、状況が変わるまで動かないという人々の執念には敬意を表します。それだけ、アメリカには、まだ「自分達で変える事ができる」という希望のかけらみたいなのが残っているのでしょう。

これが今後どのように発展して行くかがわかりません。中東で、女性の権利を推進する団体と、イスラム教団体が結局は相容れないように、アメリカでも様々な団体は大きく異なる信条を掲げていて、それが今のようにずっと共存して行くとは思えません。以上のような理由で、今の所は私もこの運動を支持するかしないか、決めかねています。

今日10月5日(水)にはデモを、3時にはリバティープラザ、4時半には市役所で行うそうです。誰でも参加できるそうなので、興味があって参加できる方は、行って自分の目で見てみると良いと思います。おそらく今までで一番大規模なものになるのではないかと主催者側は言っていました。詳しい情報やその他の情報は、OccupyWallSt.org で得られます。



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