2011年10月15日

雨の日の妄想

ニューヨークのような大都会にも、人が足を踏み入れた事がないような森の奥深くにも、大海原にも、同様に雨は降ります。今も昔も。そんな事を今日みたいな雨の日に妄想するのが好きです。

マンハッタンに、まだヨーロッパ人が足を踏み入れる前、ブロードウェイがまだけもの道だった頃も、今と同じように雨が降っていたのだろうと考えると、風景から、ビルや道路や信号や人々や音までが消えて行き、所々にある沼地と木々の間に静かに降る雨が想像できます。

その昔、今から400年程前、マンハッタンはマナハッタと呼ばれた島だったといいます。今のような超大都会になるまでには、様々な変遷があったのでしょうが、雨が降ると、そんな人間の活動も地球の歴史の上では一瞬に過ぎないのだということを思い知らされます。

昔のマンハッタンに関しては、詳しくはナショナル・ジオグラフィックのウェブサイトに興味深い話が載っています。写真もそこから拝借しました。



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2011年10月14日

ウォールストリートの座り込み(その3)

私がデザイナーとして仕事を請け負い始めたのが2005年、それから2〜3年程は順調に仕事の量も増えていきました。次の年はまともな売り上げがあるだろうと思っていた矢先にリーマンブラザーズが倒産、今までのクライアントが倒産したり事業を縮小したり、デザインに充てる予算が極端に少なくなりました。企業に資金がないわけではないのでしょうが、今はそれをしっかりと保持することが重要で、デザイン等にはあまり使わない傾向にあるようです。

商売をしていると、新聞やテレビのニュースになる前に、世の中の景気が手に取るように良く分かります。今年の始めに少しは持ち直した感があったのですが、それも夏に帳消しにされ、現在は今までになく閉塞感が漂っています。残念ながら、アメリカの経済が近い将来に好転するような見通しは一切ありません。

ウォールストリートの座り込み運動に、たまにでも参加したい気持ちも理由もあるのですが、なかなかダウンタウンまで飛んで行けないわけが3つあります。1つ目は家庭。夫は放っておいても大丈夫ですが、子供はそういうわけにも行きません。大抵のデモが夕方のニュースの直前に行われるので、子持ちが参加するのは難しいのです。午前中やお昼頃の出来事は、夕方のニュースの時間まで持たない傾向にあるので、注目を集める為のデモ等は時間を選んで行われるのです。

2つ目の理由は、座り込みをしている人々のヒッピー感覚やフォークソング感覚に、私はいまいち馴染めないのです。年配の人達も中にはいますが、その人たちはおそらく、本家本元のヒッピー世代なのではないかと思います。問題は、歌やファッションではないという事は理解できるのですが、すぐ側でギターをひいて叫ぶように歌われると、ちょっとさめてしまう自分がいます。やはり、大半の参加者はとても若いのです。

3つ目の理由は、この座り込みが行き着く先はどこなのか、何を求めているのか、良く分からないという事です。エジプトを民衆が変えるように見えた後で、イスラム教過激派が事態を掌握しようとしている状況を見ると、今ウォールストリートの運動を支持したところで、ティーパーティーみたいな小賢しい団体に、最後は結果をさらわれる可能性もあるのかと思うと、積極的になれない気がするのです。

テレビのインタビューで「これだけ大きな運動に発展すれば、そしてこれからも拡大し続けて行けば、政治家なんて気にしなくていいようになる。」というような、とてもナイーブな発言を参加者の口から聞くと、余計心配になって来ます。毎日のように、ウォールストリート座り込みの話題がニュースで取り上げられるようになっても、まだまだ状況は流動的で危ういように思えます。

明日の早朝には、座り込み現場の公園をニューヨーク市が清掃しようとしているらしく、もしかしたら大きな衝突になる可能性もあります。



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2011年10月13日

Netti Pot 評論家


日本でいう鼻うがいの事なんですが、風邪をひいて鼻水がズルズル出ている時にこれをやると本当にスッキリします。風邪をひいていなくても鼻炎のある人は、毎日やっているかもしれません。

日本では普通にコップを使って片方の鼻から水を吸い上げると友人に聞きました。慣れてしまえばそれで良いと思いますが、アメリカには(インドにも?)ネティポットという鼻うがい専用の器具が存在します。日本円にすると1000円位のもので、急須のような片口のような形をしています。素材は陶器、プラスチック、金属など、様々です。形にもかなりのバリエーションがあります。不器用なアメリカ人ができるだけ簡単に鼻うがいをする為に売っているのだろうと推測しますが、これがかなり便利なのです。アメリカだと健康ショップやヘルスフードショップ、場所によってはドラッグストアーでも手に入ります。

きっかけは、丁度去年の今頃、競歩を始めたばかりの頃に風邪をひいてしまい、どうしてもこじらせる前に早く治したかったので、あれこれ調べたのが始まりでした。ジョギングをしている場合も同じだと思いますが、寝込むほど体調は悪くなくても、鼻は結構長い間グズグズしているもので、歩いている間に鼻水が出て来るととても困るのです。薬を飲んでしまえば…と言われるかも知れませんが、私は血圧が高い為に鼻水を止める薬が飲めないのです。

最初は本当におっかなびっくりでしたが、どうしても歩きたかったので意を決してやってみることにしました。1カップのぬるま湯と1/4ティースプーンの粗塩を溶かして作った食塩水をネティポットに入れて、口で呼吸をしながら顔を傾けて、片方の鼻へ注ぎ口を突っ込んでポットを傾けると、もう一方の鼻の穴から食塩水が出て来す。本当に全然ツンとした嫌な感じも痛ももありませんでした。鼻をかんだ後は、スッキリとして爽快です。

私がネティポットを使っているのを見た息子は、自分もやりたいと言い出しました。冬場になると、ひっきりなしに学校から風邪の菌を持って帰って来るので、息子にも役立つはずです。でもやはり、これは歯ブラシと同じような感覚のもので、いくら家族といえども同じ物を使い回しするのは衛生的によろしくないと思い、別のものを購入し、その後鼻炎持ちの夫にも買う事になりました。ネティポットを最初はバカにしていた夫ですが、いまでは毎日使っています。

私のネティポットは陶器製で、上の写真の男性が使っている物と同じです。夫のは女性が使っているのと同じ物、息子のは子供が使用しているのと同じ物です。値段に大した差はありませんが、強いて言えば、息子に買った柔らかいボトルのような形状をしたものが一番値が張りました。多分、一番使いやすいからだと思います。

日本でも、ネットで売っていますが、要は注ぎ口で水を注入する方の鼻の穴をキッチリと塞いで頭を傾けるか、柔らかい洗剤のボトルのようなもので水を押し出してやれば、自分で塩水を吸い上げなくとも簡単に水が鼻腔の中に入って行くということです。つまり、特別な器具を買わなくとも、使わない急須や洗剤のボトルでも用は足せそうです。



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2011年10月12日

芸術を愛でる感覚

先日書いたように、私は新聞やノンフィクションは読みますが、小説を読む事はごく稀です。あまり「お話」を読む気がしないのです。音楽も最近はそこそこ聞きますが、全く聞かなくても平気です。美術館もMoMAの現代美術よりもMetropolitan Museum of Artダマスカス商人の居間(先日行ったら、イスラム美術のセクションは、残念ながら改装中でした。)を眺めている方が好きです。

面白い事に、私の息子は全く逆のタイプです。お話を読みながら空想の世界をさまようのが好きなようで、放っておけば何時間でも読み続けたりしますが、ノンフィクションは嫌いで読ませようとしてもなかなか先に進みません。音楽も既に自分の趣味を持っているし、MoMAでは、3㎝程の厚さの黒いゴムの床材が丸めて床に置いてある、どう理解したらいいのか分からないような展示を見て「見て、この影すごい綺麗だよ。」と言うのです。息子には、私と見えている物が違うのだというのがその時に解りました。でもMetropolitan Museum of Artは、少々退屈なようです。

MoMAの分館でPS1というのがロング・アイランド・シティーにあります。観光客でそこまでわざわざ足を伸ばす人はあまりいませんが、去年MoMAのメンバーだった時には、家から近いこともあってしばしば訪れました。そこはPS1という名が示すように、以前は小学校 (Primary School) だった古い建物を美術館に改装して使っています。

そこで以前行われていた映像の展示を息子が見入っているのに気がつきました。作家名はもう忘れてしまったのですが、一つの何気ない物から足が生えて別の物に変化して、それが更に又別の物に変化して… という連続が映像になっています。そこに夫が入って来て「僕はこういうのが、子供の頃にずっと頭の中にあったんだよね。ただ、それをどうやって表現するか、全く分からなかったから、芸術家にはならなかったんだけど。」と、大いに共感を示しているのです。

デザインの仕事をしている私よりも、保険屋の夫と8才の息子の方が芸術を愛でる感覚に鋭いとは、何とも皮肉なものです。



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2011年10月11日

そろそろ終わりに近づいた野菜の配布

今年の春からCSAというものに参加しています。Community-supported Agricultureの略で、近郊の農場と季節契約で野菜を購入し、週に1回まとめて配布を受けるというシステムです。特別にCSAが有機農法で育った野菜以外には取り扱わないという決りがあるわけではないのでしょうが、多くのCSAが有機農法の農場と契約を行っています。

私はそもそも農薬や遺伝子操作の野菜が気になるタイプではないのですが、ある日、Supersize Meを見て、鶏の育ち方に恐れをなし、鶏はオーガニックではなくても、放し飼いでなければいけないと思うようになりました。ところが、本当に放し飼いで育った鶏を手に入れるのは、あり得ないくらいに難しいのです。コストコでオーガニックの鶏は売っているけれど、本当に放し飼いかどうかは怪しい所だし、高いし、第一タンパク質を毎日大量に摂取するアメリカ人の夫がいると、かないません。

何がきっかけだったか憶えていないのですが、近所でCSAを行っている事がわかり、反対していた夫に内緒で参加してしまいました。ところが、一番最初の配布で作ったサラダの美味しさに夫が気がついて以来、夫もCSAの野菜のファンとなっています。計算すると1日2ドルぐらいになり、高いと言えば高いのですが、こんなにおいしい野菜はレストランでも滅多に食べられるものではないと思うと、それだけの価値は十分過ぎるほどあると確信しています。オーガニックというのはもうボーナスみたいなものだと思っています。

また、野菜がとても美味しいと、今までのようにタンパク質を過剰に摂取しなくても、充分な満足感があるのです。

今まで見た事もないような野菜が配布されるのも、CSAに参加している楽しみです。夏前に平たいインゲンを配布されて、どうやって食べたら良いのかネットで検索した憶えがありますが、同じ物を逗子のキングストアーで見た時には驚きました。日本のごく普通のスーパーにも目新しい野菜がどんどん出ているんですね。

そろそろ10月の末頃で野菜の配布も終わりになるので、おいしい野菜に甘やかされた私は、これからどうしたらいいのか、少々途方にくれています。以前、オーガニックだから美味しいのかと思い、オーガニックの野菜を近所のスーパーやファーマーズマーケットで買った事があるのですが、それほど美味しいとは思いませんでした。CSAと一般的なオーガニックとその違いがどこにあるのか全く分かりませんが、味が違うのです。

私の所属しているCSAは、去年は秋冬の野菜配布をしていたようなのですが、今年はまだその連絡がありません。カボチャ類や根菜だけでもいいから、冬にCSAの野菜が手に入ると有り難いんですが。



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2011年10月10日

スタテン・アイランドのグリーンベルト

最近、連休続きでお子様接待のネタにも手詰まりを感じていました。子供も今まで何度も行った所は飽きてしまっているのです。仕方がないので、目新しい所を求めてネットを調べた所、スタテン・アイランドにグリーンベルトというかなり広い地域があり、そこには幾つものハイキングコースがあるというので、行って来ました。

スタテン・アイランドには知り合いもいないし、何があるのかも知らないので、今まで車で通り過ぎた以外は、行った事がありませんでした。でも、今日は夫が何やらのテストが10月末にあるというので家で勉強をしているため、なるべく長く子供を連れ出すのがポイントだったので、クイーンズから遠く離れたスタテン・アイランドは好都合でした。

逗子の鷹取山ハイキングで、大興奮していた息子なので、これも大ヒットに違いない!と思ったのですが、そうではありませんでした。鎖場や大きな石の間をくぐり抜けるような夢とロマンと冒険を感じるようなハイキングが息子の所望のようです。

とうとう、息子が帰りたいと言い出したので、仕方がなく引き返しました。私も息子も長ズボンを履いて行かなかったので、足をボコボコに蚊にさされ、歩きながらもボリボリ掻いている有様でした。

グリーンベルト自体は、ニューヨーク市にあるとは思えないような素晴らしい自然保護地域なのですが、平坦で回りの景色がずっと同じようなコースを今回は辿ったので、息子にはつまらなかったようです。もっと、別のコースを行けば、廃墟を通ったり、湖畔を通ったり、海岸にも出るようなので、楽しかったかもしれませんが、それはもう少し研究して次回のお楽しみとします。



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2011年10月9日

Something So Right

私の育った環境は、芸術の類とは無縁だった為に、子供の頃に影響された音楽や文学というのがあまりありません。今でも新聞やノンフィクションは読めるけれども、小説を読むのは苦手です。音楽はテレビの歌謡曲や母の美容室で聞いたFM横浜から流れて来た音楽以外は、物心ついてから手探りで自分で選んで聞くようになりました。

私はあまり歌詞を味わうのが好きではありません。余りにも湿っぽい歌詞は感動するよりも引いてしまうし、元気の良すぎる歌詞も疲れてしまうからです。音楽を選ぶときの重要なポイントが歌詞ではないと、様々な種類の音楽を同じレベルで聞く事ができるメリットはありますが、10代の頃に密かにタンゴを聞いていて、怪訝に思われた事もあります。

ところが世の中には、音楽に乗った歌詞が聞き手の頭にす〜っと入り込んでしまうように歌ってしまう素晴らしい唄い手がいます。聞こうと思わなくても、聞いてしまうんだから凄いです。表現力というのでしょうか。ポール・サイモンがその一人だと思います。特別に歌唱力があるとかうまいというわけでもないと思うのですが、彼の語りかけるような歌い方には思わず聞き入ってしまいます。

ポール・サイモンは若くして成功を納めた人ですが、Something So Right を聞くと、彼の感性に驚かされます。このメローな曲の内向的な歌詞には、多くの日本人が強く共感して不思議ではないのですが、アニー・レノックスを始め多くの歌手がこの曲をカバーしている事から、何事もバリバリとこなす怪物かブルドーザーのように見える西欧人も心の奥底に傷つきやすい部分を持っているのだというのがわかります。

表現というのは、自分の奥底から出て来るもので、ある程度の真実がなければ成り立たないものです。何かを伝えたいという真実があれば、技術の未熟さなど気にならない事もしばしばあります。これに初めて気がついたのは、20代の前半に聖書の勉強をしていた時でした。主宰しているイタリア人の宣教師がおぼつかない英語で読む聖書の言葉の方が、メンバーの日本人が読む聖書の言葉よりも心に訴えかけてきたのには驚かされました。

45才にもなって自分の真実とは何なのだろうと、私は問うています。



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