2011年10月5日

ウォールストリート座り込みを見て来て

仕事のミーティングの後に、ウォールストリートの座り込みを見て来ました。率直な感想は、思ったよりも汚い… ネットで色々と発信しているし、サポートも色々あって、テレビでも報道されているので、もう少しまとまっているのかと思ったら、そういうわけでもなさそうです。狭い広場にヒッピー風の若者あり、寝袋に包まって寝ている人あり、ラップトップでなにかやっている人あり、広場の回りをバナーを掲げて練り歩いている人々あり、大声を張り上げて声明を発表している人あり、明日のデモのチラシを配っている人あり、報道陣あり、警官あり、野次馬有り(私もその一人)、食べ物を売るテキ屋あり、炊き出しあり、様々な階層や団体が入り交じっていて、混沌としていました。

今、広場で座り込みをしている人達の役割は、とにかく注目を集める事にあるのだろうと思いますが、その点からすれば、第一次段階は成功だと思います。アメリカ中に不満が募っているのは事実だし、それが吹き出した一つの形がティーパーティーであるように、また別の形で現れたのがこのウォールストリートの座り込みだと思います。不満を体現するだけの時間がある失業者が多いのもこれまた事実です。

アメリカの既に確立された社会構造は、中東の独裁政権や王制などよりも多角的で堅固です。これを揺さぶるのは並大抵の事ではありません。座り込みだけでは、何も変わらない事は明白です。この混沌の状態から組織化がはかれないと、そのうちに運動も消えてしまうか、どこかの既製団体に乗っ取られてしまうでしょう。ただ、とにかく何かをやり始め、状況が変わるまで動かないという人々の執念には敬意を表します。それだけ、アメリカには、まだ「自分達で変える事ができる」という希望のかけらみたいなのが残っているのでしょう。

これが今後どのように発展して行くかがわかりません。中東で、女性の権利を推進する団体と、イスラム教団体が結局は相容れないように、アメリカでも様々な団体は大きく異なる信条を掲げていて、それが今のようにずっと共存して行くとは思えません。以上のような理由で、今の所は私もこの運動を支持するかしないか、決めかねています。

今日10月5日(水)にはデモを、3時にはリバティープラザ、4時半には市役所で行うそうです。誰でも参加できるそうなので、興味があって参加できる方は、行って自分の目で見てみると良いと思います。おそらく今までで一番大規模なものになるのではないかと主催者側は言っていました。詳しい情報やその他の情報は、OccupyWallSt.org で得られます。



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2011年10月4日

塩分

朝食はたいていアメリカ風で、オートミール、コールドシリアル(コーンフレークのような物)、卵とベーコン、若しくは前もって作って冷凍しておいたフレンチトーストと相場が決まっています。今朝は冷凍しておいたご飯もあったので、久しぶりに日本で買って来た塩昆布とシャケのふりかけで朝ご飯を食べました。

日本食はいつ食べても美味しくて大変満足するのですが、今朝は食べた後に舌がピリピリする感覚を憶えました。日本でお弁当やお惣菜を買って食べたときも、この舌のピリピリ感が残りました。辛みではなくて過剰な塩分です。

アメリカでは、塩は使うものの醤油や味噌の味付けが少ない為に、普通に調理しても日本食を食べるよりは自然と塩分が少なめの食生活になるようです。だんだん舌が慣れて来たのか、久々に帰省すると日本の食生活の塩辛さに驚きます。

父がまだ生きていた頃、ふとしたきっかけで塩分の話になりました。
「最近、血圧を下げる為に塩分の少ない食生活にしてるんだ。パパも塩分減らした方がいいんじゃないの?」
「塩分が少ない食事をしていると、疲れないか?」
私は言葉に詰まりました。塩分を採ると疲れにくくなるというのは事実です。でも塩分が血圧を高くしているというのも、父は十分承知していたはずです。疲れない為にずっと塩分を過剰に取り続け、朝から晩まで休みなく働いて、挙げ句の果てには早死にしてしまいました。

降圧剤を飲んでいれば、塩分を過剰に取り続けても平気だと思っていたのでしょうか。もう少し、私がしつこく食生活を改善するように言ったら、父はもっと長生きしたのでしょうか。様々な考えが頭の中を巡ります。生活の質って何なんでしょうね。



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2011年10月3日

ウォールストリートのデモ

9月17日からウォールストリートの一角にある公園で、居座りをしている人々がいます。アメリカ社会の二分化(富裕層と貧困層)、企業が及ぼしている多大な政治的影響に対して反対を唱える人々です。ニューヨークのニュースでは取り上げられていますが、これが中東やヨーロッパで起っているような大規模な運動になるかどうかは微妙だと思っています。

アメリカには、住んでみると分かるのですが、とても保守的な一面があります。裕福層からアメリカに来たばかりの新移民まで、貧富の格差を是認する人々は沢山います。大企業のCEOと普通の社員の収入が3桁違っても、それに異議を唱える人は少数です。成功した人に
はそれなりの収入があるべきである、そしていずれは自分もアメリカンドリームを手にして裕福になれる、と信じている人が多いからです。実際は、低辺から這い上がれる人はごくごく僅かなのですが。

ただ、最近のアメリカの大きな問題は、中産階級が消滅しつつあるという事です。マンハッタンを歩いていると、観光客も多いし、物を買っている人も多いし、景気が悪いという事は感じません。ところが私が所属していたビジネスネットワーキングの集まりを含め、他の似たような集まりでは、参加者が激減しています。つまり、切り詰められる所はギリギリまで切り詰めて、どうにか生き残っているのです。

火曜日にマンハッタンでミーティングがあるので、そのついでにウォールストリートのデモも見て来ようと思っています。



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2011年10月2日

人生の最期に

実兄が亡くなってからは、夫には家族や親戚が私と息子以外にはないため、フィラデルフィアの郊外に住んでいる義理の姉が、何かの折には私達を呼んでくれます。きらびやかなユダヤ人マダムタイプなので、最初は敬遠していたのですが、10年以上も前に死別した夫の弟の家族と親交を保つというのはなかなかできる事ではなく、その心遣いには言葉で言い表せない程感謝しています。

その義理の姉のお父さんは、末期の食道がんだと今年の初め頃に診断され、今は自宅でホスピスのケアを受けています。ホスピスというのは、末期がんの患者や他の不治の病気で余命が残り少ないと分かっている場合に、手術や治療を最優先にするよりも、人生を終える準備に重点を置いた施設です。

義理の姉のお父さんは、自宅でそのホスピスケアを受けています。義理の姉のお母さんもまだ元気で、老夫婦は一緒に住んでいるのですが、80才を過ぎた老婦人ひとりでは介護が不可能なので、昼も夜も必ず看護婦を一人、家に駐在させているそうです。朝と夕方に交代があるのですが、その交代の時間に二人の看護婦が寝たきりのお父さんをお風呂に入れたり着替えをさせたりという作業をするそうです。かなり大柄な人なので、お風呂に入れるのも着替えをさせるのも大変だろうと思いますが、看護が良いからか、加齢臭の類も一切なく、いつ見ても綺麗にしています。

今日会った時に義理の姉のお父さんは、リビング・ウィルの用紙を見せてくれました。つまり、自分が危篤になった場合に甦生措置をして欲しいかして欲しくないか、人工呼吸器は取り付けてほしいか欲しくないか、輸血はして欲しいかして欲しくないか、臓器移植は… というような具体的な項目に、ひとつひとつ「はい」「いいえ」を記入して行きます。

八十八才になるので思考のスピードも以前より落ちていて、もう沢山は語らないのですが、三十才前に自殺してしまった長男の事、お兄さんの事、起伏が激しかった結婚生活の事など、遠くを見ながらポツリポツリとつぶやくようにゆっくりと話す様子からは、今までの自分の人生を何度も振り返っているのだというのが分かりました。

私も日本で、何人かの知人をがんで亡くしました。日本とアメリカの大きな違いは、病状と病名の告知です。少し前までは、日本での告知は殆どなかったと思いますが、最近はケースバイケースのようで担当医の判断による所が大きいのかもしれません。それでもたとえ告知がなくても、あと数日しか持たない患者は、終わりが近づいているのがわかるのでしょう。

私の小唄の先生で母の友人でもあった人は、子宮頸がんで亡くなったのですが、母が先生の亡くなる2日程前に面会に行った時に「あたしの病室の入り口の名札の上に赤い丸が付いてないか、ちょっと見て来てくれる?」と言われたそうです。名札の上に赤い丸が付くと、数日のうちにその患者さんが亡くなるというのを先生は承知していたのでしょう。体調が悪化した時にそれが自分の最期かどうか、知りたかったようです。母は返答に困ったと言っていました。

告知によって病状が改善されるわけでもないのですが、少なくとも自分の病名や余命に関する疑問は疑いの余地もない事実となるので、思考の中心は今までの自分の人生を納得して受入れるという作業になるようです。誰の人生にも良い時と悪い時があるものですが、人生の最期にそれを振り返り平和な気持ちで受入れるというのは、それ自体大変な作業ですが、とても重要なプロセスだと思いました。

最期の数ヶ月間をどうやって過ごすか。今まで住み慣れた家で、他の患者に気を遣う事もなく、充分な介護を受けながらゆっくりと人生を閉じる事ができる夫の義理の姉のお父さんは、恵まれた環境にいます。



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2011年10月1日

その道のプロ

曾祖父の古い白黒写真を発見した事は、少し前に書いたのですが、その写真の一枚にはおばあばも写っていました。宴会場らしき所で、70代ぐらいの曾祖父が立ってなにか面白い事を喋っているようで、その一歩下がったところに笑っている40代ぐらいのおばあばが立っています。

曾祖父は、かなり話術の達者な人だったそうで、顔剃りをしている間に、いつも必ずちょっとした話をしてお客さんを楽しませたそうです。剃刀の当たり方も、羽で顔をなでられているように軽やかで気持ちがいいので、話に引き込まれながら剃刀の感触を楽しんでいるとほどなくして「ハイ、終わったよ。」と言われるのだそうです。剃り終わった後の顔は、この上なくすべらかだったと聞きます。

写真の中のおばあばは、芸者さんっぽい刺繍の入った着物をきているのですが、あんなに華やかなおばあばを今まで見た事がありませんでした。それよりも驚いたのは、そのたたずまい方や笑い方が、自分を見せるためのものではなくて、曾祖父を引き立てるためのものだというのが見てとれるのです。
「私の連れ合いは、こんなにおもしろおかしい話をするんですよ。どうぞお楽しみ下さい。」
という声が聞こえて来そうなのです。

今まで、芸者というのがどういう仕事なのかあまりよく分からなかったのですが、その写真一枚で芸者が何なのか分かったような気がします。お客様を楽しませる、宴席のプロなんですね。そして、立ち方一つでそれを表現してしまうおばあばは、良い芸者さんだったのだろうと思いました。



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2011年9月30日

父の彼女

「忙しいから彼女ができないなんて言う男は、どっかおかしいんだって言われたよ。」
バツイチの友人が男友達から忠告を受けたのだそうです。そういえば、私にも思い当たる事があります。

父は現役のまま急死したので、葬儀の後の財務整理には、かなり慌ただしいものがありました。当面入っている予約などをキャンセルしなければいけないので、父が愛用していた手帳を開いて見ていると、短い日記のようなメモが細かい字で毎日書き込んでありました。大雑把だと思っていた父の意外な側面を見たような気がしました。

倒れた日には横浜崎陽軒でY高の同窓会に参加するはずで、その二日後にはゴルフに行く予定で… 10日の欄に「きょうことライオンキング」とありました。妹の一人が恭子という名なのですが、どうも変だと思ってたずねてみました。
「あんた、パパとライオンキング行くはずだったの?」
「ああ、それはパパの彼女だよ。何かのきっかけで知ったんだけど、ひらがなの『きょうこ』は彼女なんだよ。あと、もう一人女がいてさ、そっちの方は年に二回、お中元とお歳暮をちゃんとよこすから、商売人だと思うけど。」

父は、母が入院してからというもの、仕事をしながら病院にちょくちょく顔を出していて、しかも週末は朝の5時からゴルフに出かけるというハードスケジュールでした。一週間に一日ぐらい、何もしないで体を休める日でももうければ良かったのに、そういう事のできない人だったようです。しかもその上、彼女までいたとは!

腹が立つとか、母がかわいそうとか、そういう感情は不思議と出て来ませんでした。72才でそこまでできたとは、ただただ関心しました。

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2011年9月29日

健康のために、家族のために

私の息子は、良くも悪くも大きく平均値から外れています。手のかからないよその家の子を見ると、羨ましく思う事もありますが、そのユニークさゆえに、自分の子供をことさら愛しく思います。自分の命に代えても惜しくないとはこういう事なのでしょう。

その息子を悲しませない為にも、自分の体を大事にしなければならないと40才を過ぎた頃から思うようになりました。そして45才を過ぎた頃から、本当にガタが来ました。ただし、思うのは一瞬で簡単にできるけれど、実行に移すのは時間も労力もかかります。

昨日は、様々な言い訳との格闘をし、脳卒中になった両親の事を思い、やっと重い腰を上げました。9月にニューヨークへ戻ってから、一度も歩いていなかったので、久しぶりなのですが、アストリアの自宅から、ジャクソンハイツまで歩いて帰って来ました。距離にして8.4k程。しばらくぶりで長い距離を歩いたので、帰りは競歩ができず、普通に早足で歩いて帰って来ました。

今まで車で何度も通りすぎながら気になってはいたけれど、じっくりと眺める事ができなかったインド料理屋を覗いたり、実はジャクソンハイツは歩いてもそれほど遠くないというのを発見したり、歩く楽しみを再度発見しました。今日は少し湿気が高かったのですが、これからは運動をするのにも気持ちのいい季節になります。健康で長生きしたいものです。

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