2012年7月15日

メリトクラシー (meritocracy)

ここ数日、メリトクラシーという言葉がアメリカメディアのキーワードになっています。言葉自体は、最近造語された物ではなく、1958年に出版されたイギリスの社会学者マイケル・ヤングの著書 『The Rise of Meritocracy』によって始めて使われたそうです。ウィキによると日本では能力主義と訳されているようですが、アメリカでは少々異なる意味合いを含んでいるように思えます。

なぜメリトクラシーがアメリカで今話題になっているのかと言えば、拡大し続ける貧富の差、融通性に欠けた階級社会、既得階級の利権の独占などが大きな問題となっているからです。アメリカン・ドリームは既に過去のものであり、本来ならば階級社会であるフランスの方が社会階級間の移動が容易だといういくつかの研究結果さえでています。

貧富の差は、既に子供の頃から受けられる教育の差として顕著に現れているという記事が今年2月のニューヨークタイムスにありました。過去数十年の間にアメリカでの人種間における教育の格差は大きく改善されたものの、収入による教育の格差は広がる一方だというのです。裕福な家庭は、子供を少人数制クラスの私立学校に入れたり、ピアノやスポーツなどの様々な習い事に行かせるだけの経済的余裕を持ち、子供と一緒に過ごす時間も比較的多く取れます。一方貧しい家庭の子供は1クラスに沢山の子供がいる公立の学校に通い、お金のかかる習い事などに通う事も容易ではありません。親は生活を支える為に仕事を掛け持ちしている事も多いので、子供と過ごす時間も簡単には作れません。そしてその生活レベルの差が子供の学力や可能性の差となり、さらなる貧富の差を産み出すという構図です。

本来ならば、実力があれば成功できるように作られた社会の仕組みが、すでに成功した人々が自分の現在持つ権利を更に拡大し、その上かつて自分達が登ったハシゴを外す事によって決定的にしようと試みているのが現在のアメリカの姿であると見ている人は少なくありません。政治家も選挙戦を勝ち抜くための多額の政治献金を得る為に、一部の特権階級と結びつき、そして特権階級はその政治家からの見返りを期待します。もはや、政治は一般の国民のためにあるものではなくなりつつあります。

将来のアメリカは、一部の特権階級が大多数の貧しい市民を支配するような国になってしまうのか、今から5年後にはその答えが既に出ているはずです。



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