2011年10月31日

刺青

座禅会に行った時に、いくつかの刺青が目に入りました。アメリカ人は日本人よりも刺青の敷居が低いし、どういうわけか東洋文化に系統している若者は漢字の刺青を首の後ろに入れるという傾向があるので、刺青を入れているからと言って、極悪なわけではありません。

ただ、刺青は入れる時に痛いし、消えないのから、いくらその時には素敵だと思っても、結局は烙印を一生背負い続ける事になるわけです。そこまで深く考えずに刺青を入れるにしても、充分考えて承知の上で入れるにしても、刺青を入れるだけの度胸を持った人は、ある意味で凄いと思います。ある意味、人生を放り投げてしまえるだけの度量というか向こう見ずさというか、そういう資質を持っている事を刺青は物語っているような気がします。



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2011年10月30日

座禅会

ブルックリンにある曹洞宗の禅教室に行って来ました。私個人としては、なかなか興味深いと思ったけれど、8才の息子が40分間座れるかと言えば、大いに疑問です。ただ、座り方を教えてくれるので、やろうと思えば家でもできるというのは、大きな利点だと思いました。

私は今まで、座禅をした事もないし、禅宗も知らない全くの初心者なので、一から指導してもら為に、40分の座禅会の前に行われる説明から顔を出しました。禅堂の正面には木彫りのお釈迦様、その反対側には観音様が安置してあり、普通にお寺にあるような木魚や巨大なリンはあるものの、あとは座布団と饅頭のような形をした座禅クッションのみ。しかも曹洞宗や仏教全般の教義の説明は一切なく、最初から座禅の座り方、禅堂に入るときの礼儀の説明です。単刀直入で実務的なのは、非アジア人に指導する事に焦点を絞ったからなのでしょうか、ニューヨークという土地柄に合わせたのでしょうか、それともこれが禅宗というものなのでしょうか。

座る形が自然に様になっていてよろしいと褒められましたが、座る文化で育っている日本人が座れば、私のような初心者でさえアメリカ人よりも形になるのは当たり前です。40分間でも座ること自体は、全然辛くありませんでした。

目は完全に閉じずにうっすらと開けて瞑想するのは、甘美な妄想にふけろうとする心を、目開けている事によって視覚的に制御するためのようです。それでも、様々な日常の事柄は瞑想をしようとする心に浮かんで来るもの。今日は特に雨の音が聞こえて来たので、目を瞑ってそれに聞き入っていたいという欲望が出て来るのですが、目を開けていると白い壁が見えて、現実の世界に引き戻されます。集中しているわけでもなく、集中していないわけでもなく、ただそこにいる自分を見つめるというのは、本当に精神の修行だと思いました。

子供を連れて行く前に、夫を行かせてみます。



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2011年10月29日

カボチャのスープ

ハロウィーンが近づきましたが、ひょんな事から、カボチャが3つも家にありました。3つのカボチャの一つは、スタテン・アイランドの農場に行った時に買ったカボチャに息子がデコレーションをしたもの、後の二つは先日行って来た学校の遠足でもらって来た物です。

アメリカのカボチャは、日本のホクホクしたカボチャと違って、オレンジ色で見た目は可愛らしいのですが、水っぽくて食べてもあまり美味しくないのです。多分そのせいで、アメリカのカボチャを使った料理は、たいていスープか砂糖とシナモンをたっぷりと入れたパンプキンパイになります。

いつもは、ハロウィーンにカボチャをデコレーションしても、それを食べる事はないのですが、さすがに3つもあると、それを破棄してしまうのはもったいないような気がして、先日カボチャのスープを作りました。カボチャと玉ねぎをバターで炒めたあとで、鶏ガラスープを入れて、カボチャに火が通ったらそれをミキサーに入れてドロドロにし、最後に牛乳を加えてから塩で味付けしました。

思ったよりも結構美味しかったです。



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マイケル・ジャクソン

O. J. シンプソンの時程ではないにしても、マイケル・ジャクソンの死亡に関する主治医の責任を問う裁判の報道が加熱しています。特別に私はマイケル・ジャクソンのファンでも、ゴシップ好きでもないのですが、朝のテレビニュースを見ると、必ず5分位の時間を割いて裁判の経過についての報道や解説があるので、つい見てしまいます。

私を含め多くの人は、マイケル・ジャクソンの音楽性は認めながらも、家の敷地内に遊園地を作ったり、ペットにチンパンジーを飼っていたり、エレファントマンの骨を入手しようと試みるような、かなりのキワものだと思っていたはずです。でも、裁判が進行する中で、様々な事が明らかになると、生前には公表されなかったスーパースターであるが故の一個人としての苦悩や葛藤などが垣間見られて、気の毒に思ってしまいました。

様々な証言を繋ぎあわせてみると、マイケルは、異常なほど少年のように細い体型を保つ事に執着していて、食事の量も厳しく制限していたといいます。経済的にも苦しくなって来た晩年、計画されていたツアーを成功させる事に対するプレッシャーはかなりのものだったようです。故障だらけの体、睡眠不足、金銭面でのプレッシャー、仕事のプレッシャーがマイケルを処方箋中毒のような状態に陥らせる原因となったようです。

おそらく、マイケルのマレイ主治医は有罪となると思います。もしも、マレイ医師がマイケルの言うように睡眠剤や精神安定剤を処方しなかったとしたら、おそらくマイケルは彼を解雇して、何でも言う通りに処方箋を出してくれるような別の医師を雇う事になったのでしょう。でも、それが患者の言うなりになって、患者を死亡させた事のいいわけになるはずがありません。

リサ・マリー・プレスリーは、かつてマイケル・ジャクソンと確か2年間程結婚していたのですが、二人の本当の関係は何なのかと詮索の的となりました。彼女は終始一貫して、マイケルは幼児性愛者ではなく、二人の結婚生活も普通で夫婦生活もちゃんとあったと言っていました。当時から私にはそれが嘘だとは思えなかったのですが、やはり真実だったのでしょう。一つだけ興味深いと思ったのは、何かのトークショーにリサ・マリーと母親のプリシラ・プレスリーが出た時に、プリシラが「マイケルは、キング(エルビスの事)の子供が欲しかったから、リサ・マリーと結婚したのよ。」と言っていた事です。

いくつか起った、未成年男子を性的にいたずらしたという訴えも、金銭に目のくらんだ保護者が思いついたでっち上げだったという可能性が強そうです。そういう面倒くさいネガティブな事柄に延々を時間を費やしつづけ、精神的なダメージを受けるのが嫌だったんで、金銭解決という事になったんでしょう。

そして、更に追い打ちをかけるようなのが、マイケルの死後に突然湧いて出て来たような芸能人のマイケル賞賛。死人に鞭を打つ必用もないけれど、いままで忌み嫌っていた人物に対して手のひらを返したように態度が変わってしまうのは、見ていてあまりいい気持ちがしません。



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2011年10月26日

逗子の八幡様

私は今まで、神社は全て八幡宮だと思っていました。というのは、逗子にあるのは亀ヶ丘八幡宮、鎌倉にあるのも鶴ケ丘八幡宮なので、実家の近所の神社が八幡宮ばかりだったからです。ところが、八幡宮というのは最初の実在の天皇であるらしい応神天皇を祀った神社で、別の神社には別の天皇や神様が祀ってあるのだという事を昨日初めて知りました。無知というのは怖いですね。

何故こんな事を書くのかというと、今年の夏は、蝉の抜け殻を収集に逗子の八幡様へ度々立ち寄ったのですが、そこに行く度に、息子がお参りしたがるのは、本殿の八幡様ではなく、片隅にあるお稲荷さんや小さな石の祠の方なのです。端っこに並んでいる祠は何なのか、あれこれ質問されて答えに困りました。亀ヶ丘八幡宮のウェブサイトを見たら、天照大神や木花咲耶姫命を祀る祠だと書いてありました。

面白い事に、応神天皇の母親はかなり威勢が強かったと思われる神功皇后だし、お稲荷さんも荼枳尼天というインドの女性神の別名を持つし、天照大神も木花咲耶姫命も女性だし、かなり女性色の強い神社です。



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2011年10月24日

お子様仏教瞑想クラス

日曜の朝のお子様瞑想クラスに行って来ました。普通の建物の2階にあるセンターは、外見からは全くお寺という感じはしませんが、明らかにチベット仏教の一つの宗派の教えを広める役割を担っているようです。入るとセンターの左側が正面になっていて、蓮の花に座ったお釈迦様の像が中心に、その両脇にお釈迦様の像よりも小さな密教の仏像がいくつかひな壇に置いてあります。

実家の宗派が真言宗なので、祖母が祖父の命日には曼荼羅の掛け軸ようなものを飾り、お葬式では鳴りものが響き渡るキラキラな寺院で僧侶が「引導を渡す」儀式まで行うのを何度か見ている私にとっては、青い肌の仏様やら目が幾つもある仏様は、それほど異質には思えませんでした。

瞑想と言っても、実際に瞑想として座るのは5分〜10分ぐらいのものでした。来ていた子供の年令も、おそらく私の息子が一番年長で、他の子供達は4才か5才ぐらいのようなので、話を聞いている間も瞑想をしている間もじっとしているのが大変なので、殆どの時間はお供物の絵を描いたり、その宗派の教義に関する事でした。

実は私は、自分が仏教系幼稚園で学んでいたように、もっと一般的なお釈迦様に関する話を聞くのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。個人的な感想としては、息子をあえてその宗派の仏教徒にするつもりもないので、そこの宗派の教義を教えてもあまり有益ではないかな、と思いました。

考えてみれば、このようなキリスト教系日曜学校のようなシステムは、教えを積極的に広めようというエヴァンジェリズムの精神が根底にあるのでしょう。それだけに、西欧には受入れられやすいのだろうと思いますが、私が体験として知っているオーソドックスな日本の葬式仏教とは大きな差があります。

私は仏教からユダヤ・キリスト教系の世界に入ったので、その世界観の違いには驚きましたが、西欧の一神教の宗教観から、どちらかと言えば一種の哲学とも言えるような仏教の世界に入る人々は、どのように感じるのか不思議に思います。

まあ息子は気に入ったようなので、しばらくは行かせても良いだろうとは思っています。ただ、私は帰依できそうもないので、ずっとそこで瞑想を続けて行くわけには行かないだろうから、他の所も探した方が良さそうです。ブルックリンに曹洞宗のお寺があって、そこで座禅会をしているようなので、今度は私がまず参加して子供が混じっても大丈夫かどうか偵察して来ようと思っています。



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2011年10月22日

マッツァボールスープ

冬になると、マッツァボールスープというのをよく作ります。これは、ユダヤ料理の代表的なもので、ユダヤ人の家庭に育った人にはおなじみのスープです。マッツァという過ぎ越しの祭り(パスオーバー)の時に食べるイーストを入れない平たい、せんべいのようなパンを顆粒状にしたものから作るボール状の物をチキンスープに入れて食べるのです。文章で説明しても分かりにくいので、今日作ったスープを写真に撮りました。

ユダヤ人の家庭では、このスープは、パスオーバーの時期に食べると相場が決まっているようなのですが、息子の大好物なので、うちでは冬の間に何度も作ります。スープの素も売っているのですが、それを使うと塩辛いだけであまり美味しくないので、私はいつも鶏ガラ、セロリ、人参、玉ねぎからスープを取ります。

ユダや料理は、地域によって大きく異なるようなのですが、この他にゲフィルトフィッシュという不思議な魚のすりものを丸めたような独特な料理もパスオーバーの期間によく食べられます。これもマッツァの粉が入っているようです。売っている時に、ゼリー状のスープに入って、瓶詰めでうっているので、スーパーの店頭で見かけるとかなり不気味です。

でも、これは魚が原料だし、ピリッとしたホースラディッシュと一緒にたべるので、日本人の口には結構合うと思います。私も好きで、パスオーバーでもないのに、買って食べる事があります。

ニシンの酢漬けも私は好きなので、よく食べます。あれは本来ユダヤ料理というよりも、ヨーロッパ人の食べ物なのだろうと思いますが、アメリカではユダヤ人ぐらいしか食べないようで、コーシャー売り場に行かないと見つかりません。コストコに売っている瓶詰めが特に安くて美味しいので、私は夏でも冬でもパンに挟んで食べてしまいます。コハダの酢漬けを連想させるような味ですが、かなり甘めなのでわさび醤油には合いません。

魚系統の食べ物ばかりのようですが、鶏、七面鳥、牛などを食べる方がどちらかといえば一般的だと思います。特に牛の brisket(肩バラ肉、コーンビーフになる部分)をオーブンでじっくりと煮込んだ料理は、かなり美味しいです。

アメリカで生活していると、日本食中心の食生活は基本的に難しいので、なんでも手に入るものを普段は食べています。そのために、母親が日本人であるにも関わらず、息子の考える「おふくろの味」は上記のマッツァボールスープ等になるのだろうと思うと複雑な気分がします。



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2011年10月20日

瞑想

息子がかねてから瞑想をしたいと言っているので、子供に瞑想を教えてくれる所を探しているのですが、大人用はいろいろあっても、子供用はなかなか見当たりません。私も実際に瞑想などやった事はないので、ネットで調べて見てみると、瞑想は大雑把にキリスト教系統、仏教系統、ヨガ系統に分けられるようで、どれも宗教との繋がりの中で発展して来たもののようです。はっきり言って、そんな事さえ私は知りませんでした。

キリスト教系統のものは、夫がユダヤ人だけに子供をキリスト教化する事を嫌がるし、殆ど修道院等でしか行われないようなので、これは無理です。ヨガは、何度かやった事があるのですが、どういうわけかそれほど興味をそそられないし、私はヨガチャントがダメなので、ヨガ系の瞑想も難しいかなと思います。そうすると、残りは仏教系の瞑想になるのですが、仏教系瞑想と言っても、これがまた様々な系列に分かれているようで、仏教国である日本に生まれ育った私にさえあまり良く分かりません。

実家の仏教は、禅宗ではないのですが、禅寺ならば鎌倉にも沢山あるので、実は今年の夏に帰省した際に、夏休み子供座禅教室でもやってないかと探したのですが、一切見当たりませんでした。ニューヨークにも、禅寺はあるのですが、大人が対象の座禅会ばかりなので、未経験の子供が混じると他の参加者の邪魔になるだろうと思うと、躊躇して行けないでいます。

ニューヨークで一件だけ、チベット仏教の流れを受け継いでいると言うイギリスで始まった仏教の一派が、小さい子供のいる家族に瞑想と仏教を教えているのを知りました。ただ、宗教が絡んでいるだけに、日本の新興宗教みたいに、一度入ったら怖い事になると嫌なので、まずはネットで調べてみたのですが、チベット独立運動に熱心だという以外には、これと言ったスキャンダルのない宗派のようです。個人的には、私はチベット独立にあまり関心はないのですが(輪廻もないと思うし)、この前様子を見に行ってみたら、参加者も指導者も全員見事に白人でした(だからと言って、別にどうって事は無いのですが)。でもまずは、そこで息子と瞑想を始めてみようと思っています。

ヨガも仏教も、インドで産まれたものだし、お釈迦様も瞑想を経て悟りを得たわけだし、インド人は遥か昔から瞑想を行っていたんですね。なんとも凄い人種です。



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2011年10月19日

アメリカの税金

日本と違ってアメリカでは、会社で働いているのみで、他に何の副業もしていないサラリーマンでも、毎年4月15日に確定申告をする義務があります。とは言っても、会社からお給料をもらっているだけならば確定申告も簡単で、市販されている税金のソフトや税務署のソフトを使えば、ひとりでも簡単に手続きを終える事ができるので、何も恐れる事はありません。

私のように自営業の場合は、少し面倒くさいのですが、それでも組織が大きくないので自分で手に負えないような代物ではありません。毎年、僅かばかりのお金が返って来るか、支払いがあったとしてもほんの少しなのですが、去年の税金は思ったよりも高額な支払いをすることになりました。

収入もその前年と比べて大して変わらなかったのに、どうしてそんなに税金だけが増えてしまったのか、理解できなかったので、一様税務署に追加の税金だけは支払ったものの、実際の書類の提出は延期する事にしました。その延期した書類提出の期限が今年は10月17日でした。

数ヶ月前から、夫が個人的なプロジェクトの為に忙しくしているので、なかなか税金の書類に手をつける機会が得られず、情けない事に、とうとう最終日の17日になって慌てて書類提出を終えた次第です。それでもよく見直してみれば、やはり税金ソフトの記入漏れがあった為に、控除の額に誤りがあったようで、少しだけ余分に支払った税金が返って来る事になりそうです。

ところが18日になって、書類の不備があるという連絡がメールで届きました。慌ててもう一度書類を見直してみると、どうも銀行の会社番号が間違っているらしいので、それを正してから再提出しました。これで、無事に受理されると良いのですが、肝を冷やしました。



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2011年10月18日

仏教マンガ

私が通った幼稚園は、逗子小学校の真向かいにある延命寺というお寺の敷地内にある「逗子幼稚園」でした。名前からすると公立のような印象を受けますが、れっきとした私立の仏教幼稚園です。私の実家はそこのお寺の檀家なので、子供を通園させるのも自然な経緯だったのでしょう。

今はそびえ立つように立派な本堂が建っていますが、私が通園していた頃の本堂は、古い木造でした。たまに子供達も本堂に入って、園長先生(おそらく先々代の住職)のお話を聞く機会がありました。本堂に入る時には、礼儀正しく静かにしなければならなかったので、子供ながらに本堂が特別な場所であるという認識を持ちました。

園長先生は、おそらくありがたい話を沢山子供達にしてくれたのだろうと思いますが、残念ながら全く憶えていません。ただ、今でも記憶にあるのは、花祭りの行事と幼稚園から配布された仏教マンガです。

花祭りは、4月8日に行われるお釈迦様の誕生日を祝う行事なのですが、金属製の右手を上げた小さなお釈迦様の像の上から、園児たちが順番に一人一人柄杓で甘茶をかけるのです。多分、仏教マンガもそういうお祭りや節目の時に配布されたのだろうと思います。

マンガには、お釈迦様の誕生、出家、悟り、死について、幼稚園児でも分かるように絵と登場人物のセリフで説明がしてありました。違う内容のマンガが全部で3冊ぐらいあったと思いますが、私の妹二人も同じ幼稚園に通っていた為に、同じ仏教マンガが3部づつ家にあった事になります。それだけたくさん家にあると、嫌でも目にするし、手持ち無沙汰な時に読み返していたと思います。何度も読み返したせいか、今でもその内容を憶えています。幼少の頃の教育というのは、恐ろしいものです。

お釈迦様の母君(王妃)のマーヤ様がある日、夢の中で白い像が胎内に入る夢を見て驚き、そのすぐ後に懐妊を知り、ルピーの花園でお釈迦様が脇の下から産まれたという逸話や、どこかの森の地面に「天上天下唯我独尊」と書いてあるのを鹿、リス、鳥などの動物達が見つけ、鹿が「なんだかわからないけれど、ありがたい気持ちがしてきたよ。」と言って涙を流している、というような内容です。

小学生の頃に、そのマンガを読み返して、強烈なプロパガンダに驚愕した記憶があるので、しばらくは家にあったのでしょう。今になっては、すでに捨ててしまってあると思いますが、取っておけば良かったと後悔するような逸品でした。もう一度機会があれば、手に取ってみたいものです。



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2011年10月17日

リンゴ狩り

日本にもあるのかもしれませんが、アメリカには Meetup(ミートアップ)という実際に会う為のグループを探すサイトがあります。ずいぶん前からいくつかのグループのメンバーではあったのですが、実際に寄り合いに顔を出した事はありませんでした。

数日前、子供連れでハイキング、キャンプ、などをするグループに参加し、土曜日はそのグループの人達とリンゴ狩りに行って来ました。ニューヨーク州の北部には、沢山のリンゴ園があるのは以前から知っていたのですが、近い所でもニューヨーク市から車で1時間半ぐらいかかるので、今まで行きたかったのですが躊躇していました。

実際に車で北上して行くと、ニューヨーク市から遠ざかるにつれて、どんどん紅葉が綺麗になり、都会から離れて行くのを実感しました。息子もその日に会ったばかりの子供達とすぐに打ち解け、リンゴを収穫したり、ラズベリーを取って食べたり、トウモロコシ畑の迷路で遊んだりと、一日中かけずり回って大喜びしていました。

農場には様々なリンゴの木があり、既に収穫が終わってしまった木もあれば、今が盛りの木もありました。しかもリンゴとは、こんなに沢山木になるものなのかと驚くくらいに枝に鈴なりで、地面にも沢山落ちているのです。木に登って、リンゴを取っては地面に投げ捨てている子供もいたので、全てが自然に落ちたリンゴではないのでしょうが、どちらにしてももったいないです。リンゴを加工してできるアップルサイダーやアップルドーナッツも農場で売っているのですが、いくらリンゴを使うといっても限度というものがあるのだろうと思いました。

考えてみれば、観光客がリンゴ狩りに行けば、わざわざ遠くから足代を使って来てくれて、一袋10ドルなどを払って自分で収穫してくれます。ところが、農場が収穫してそれを市場に出そうとすれば、収穫する労働賃金、農場からの輸送料もかかります。しかも農場からの卸値は店頭価格よりも遥かに低いのだろうだから、躾の行き届いていない子供にリンゴを地面に捨てて無駄にされるような損失があったとしても、農場としては観光客にりんご園を解放したほうが、実入りはいいのかもしれません。

不思議なのは、こんなに沢山のリンゴがニューヨーク州にはなっているように見えるのに、市内の八百屋やスーパーマーケットで売っているリンゴはワシントン州産や、南米産が多く、地元産はあまり見かけないのです。ニューヨーク産のリンゴは生産コストが高いために、遠くから輸送して来たリンゴの方が安くなるからなのでしょうか。



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2011年10月16日

眼鏡

日本で100円ショップに行った時に、+1の老眼鏡をかけてみたら、とてもよく見えることに驚きました。普通にシンプルな黒のプラスチックフレームの眼鏡です。アメリカでも老眼鏡は安くドラッグストアーで手に入りますが、それでも5ドル位だと思うので、100円というのには驚きました。ほかの100円ショップの品物もそうなのですが、どうやったら100円で物を作って売れるのか、不思議です。友人からも「老眼の度はどんどん進むから、安いのをみつけたなら、全種類買い揃えて置いたら?」と言われた程です。

普段運転をしている時に、道路表示が見えにくくなっていたり、目の焦点をあわせるのに時間がかかる事には少し前から気がついていました。秋になって、ようやく眼科に行って診てもらい、45才で初めて眼鏡を作る事になりました。

以前から、眼鏡をかけるとお化粧をしなくてもお茶を濁せるような気がして、眼鏡はすこし憧れの存在だったのですが、晴れて眼鏡を使うようになると、その煩わしさも初めて理解しました。保険をつかって、最初に眼科で作った眼鏡は遠近両用でした。下が老眼になっているので、階段の上り下りの時に足元を見ると澱んでいて、かなり怖いのです。そのうちに踏み外しそうな気がするので、階段では眼鏡を外す事にしました。フレーム自体も最初は気がつかなかったのですが、少しキツいような気がします。なんだか頭が痛くなったのも、ぴったりと合っていないフレームのせいだったのかもしれません。

以前グルーポンで$200までの眼鏡を$50で作れるというのを買ってあったので、もう一つ眼鏡を作ることにしました。今度は老眼抜きです。フレームも初めに選んだ時よりも、選び方が少し分かって来たので、一日中でもずっと使い続けられるようなものを買う事ができました。

今まで眼鏡をかける習慣がなかったので、なにかが顔の上に乗っかっているというのは、なかなか慣れにくいものです。それでも一度眼鏡をかけて、今までピントが合ってなかったものがはっきりと見えるようになると、いかに今まで見えていなかったかが良く分かり、眼鏡なしでは気持ちが悪いのです。



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2011年10月15日

雨の日の妄想

ニューヨークのような大都会にも、人が足を踏み入れた事がないような森の奥深くにも、大海原にも、同様に雨は降ります。今も昔も。そんな事を今日みたいな雨の日に妄想するのが好きです。

マンハッタンに、まだヨーロッパ人が足を踏み入れる前、ブロードウェイがまだけもの道だった頃も、今と同じように雨が降っていたのだろうと考えると、風景から、ビルや道路や信号や人々や音までが消えて行き、所々にある沼地と木々の間に静かに降る雨が想像できます。

その昔、今から400年程前、マンハッタンはマナハッタと呼ばれた島だったといいます。今のような超大都会になるまでには、様々な変遷があったのでしょうが、雨が降ると、そんな人間の活動も地球の歴史の上では一瞬に過ぎないのだということを思い知らされます。

昔のマンハッタンに関しては、詳しくはナショナル・ジオグラフィックのウェブサイトに興味深い話が載っています。写真もそこから拝借しました。



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2011年10月14日

ウォールストリートの座り込み(その3)

私がデザイナーとして仕事を請け負い始めたのが2005年、それから2〜3年程は順調に仕事の量も増えていきました。次の年はまともな売り上げがあるだろうと思っていた矢先にリーマンブラザーズが倒産、今までのクライアントが倒産したり事業を縮小したり、デザインに充てる予算が極端に少なくなりました。企業に資金がないわけではないのでしょうが、今はそれをしっかりと保持することが重要で、デザイン等にはあまり使わない傾向にあるようです。

商売をしていると、新聞やテレビのニュースになる前に、世の中の景気が手に取るように良く分かります。今年の始めに少しは持ち直した感があったのですが、それも夏に帳消しにされ、現在は今までになく閉塞感が漂っています。残念ながら、アメリカの経済が近い将来に好転するような見通しは一切ありません。

ウォールストリートの座り込み運動に、たまにでも参加したい気持ちも理由もあるのですが、なかなかダウンタウンまで飛んで行けないわけが3つあります。1つ目は家庭。夫は放っておいても大丈夫ですが、子供はそういうわけにも行きません。大抵のデモが夕方のニュースの直前に行われるので、子持ちが参加するのは難しいのです。午前中やお昼頃の出来事は、夕方のニュースの時間まで持たない傾向にあるので、注目を集める為のデモ等は時間を選んで行われるのです。

2つ目の理由は、座り込みをしている人々のヒッピー感覚やフォークソング感覚に、私はいまいち馴染めないのです。年配の人達も中にはいますが、その人たちはおそらく、本家本元のヒッピー世代なのではないかと思います。問題は、歌やファッションではないという事は理解できるのですが、すぐ側でギターをひいて叫ぶように歌われると、ちょっとさめてしまう自分がいます。やはり、大半の参加者はとても若いのです。

3つ目の理由は、この座り込みが行き着く先はどこなのか、何を求めているのか、良く分からないという事です。エジプトを民衆が変えるように見えた後で、イスラム教過激派が事態を掌握しようとしている状況を見ると、今ウォールストリートの運動を支持したところで、ティーパーティーみたいな小賢しい団体に、最後は結果をさらわれる可能性もあるのかと思うと、積極的になれない気がするのです。

テレビのインタビューで「これだけ大きな運動に発展すれば、そしてこれからも拡大し続けて行けば、政治家なんて気にしなくていいようになる。」というような、とてもナイーブな発言を参加者の口から聞くと、余計心配になって来ます。毎日のように、ウォールストリート座り込みの話題がニュースで取り上げられるようになっても、まだまだ状況は流動的で危ういように思えます。

明日の早朝には、座り込み現場の公園をニューヨーク市が清掃しようとしているらしく、もしかしたら大きな衝突になる可能性もあります。



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2011年10月13日

Netti Pot 評論家


日本でいう鼻うがいの事なんですが、風邪をひいて鼻水がズルズル出ている時にこれをやると本当にスッキリします。風邪をひいていなくても鼻炎のある人は、毎日やっているかもしれません。

日本では普通にコップを使って片方の鼻から水を吸い上げると友人に聞きました。慣れてしまえばそれで良いと思いますが、アメリカには(インドにも?)ネティポットという鼻うがい専用の器具が存在します。日本円にすると1000円位のもので、急須のような片口のような形をしています。素材は陶器、プラスチック、金属など、様々です。形にもかなりのバリエーションがあります。不器用なアメリカ人ができるだけ簡単に鼻うがいをする為に売っているのだろうと推測しますが、これがかなり便利なのです。アメリカだと健康ショップやヘルスフードショップ、場所によってはドラッグストアーでも手に入ります。

きっかけは、丁度去年の今頃、競歩を始めたばかりの頃に風邪をひいてしまい、どうしてもこじらせる前に早く治したかったので、あれこれ調べたのが始まりでした。ジョギングをしている場合も同じだと思いますが、寝込むほど体調は悪くなくても、鼻は結構長い間グズグズしているもので、歩いている間に鼻水が出て来るととても困るのです。薬を飲んでしまえば…と言われるかも知れませんが、私は血圧が高い為に鼻水を止める薬が飲めないのです。

最初は本当におっかなびっくりでしたが、どうしても歩きたかったので意を決してやってみることにしました。1カップのぬるま湯と1/4ティースプーンの粗塩を溶かして作った食塩水をネティポットに入れて、口で呼吸をしながら顔を傾けて、片方の鼻へ注ぎ口を突っ込んでポットを傾けると、もう一方の鼻の穴から食塩水が出て来す。本当に全然ツンとした嫌な感じも痛ももありませんでした。鼻をかんだ後は、スッキリとして爽快です。

私がネティポットを使っているのを見た息子は、自分もやりたいと言い出しました。冬場になると、ひっきりなしに学校から風邪の菌を持って帰って来るので、息子にも役立つはずです。でもやはり、これは歯ブラシと同じような感覚のもので、いくら家族といえども同じ物を使い回しするのは衛生的によろしくないと思い、別のものを購入し、その後鼻炎持ちの夫にも買う事になりました。ネティポットを最初はバカにしていた夫ですが、いまでは毎日使っています。

私のネティポットは陶器製で、上の写真の男性が使っている物と同じです。夫のは女性が使っているのと同じ物、息子のは子供が使用しているのと同じ物です。値段に大した差はありませんが、強いて言えば、息子に買った柔らかいボトルのような形状をしたものが一番値が張りました。多分、一番使いやすいからだと思います。

日本でも、ネットで売っていますが、要は注ぎ口で水を注入する方の鼻の穴をキッチリと塞いで頭を傾けるか、柔らかい洗剤のボトルのようなもので水を押し出してやれば、自分で塩水を吸い上げなくとも簡単に水が鼻腔の中に入って行くということです。つまり、特別な器具を買わなくとも、使わない急須や洗剤のボトルでも用は足せそうです。



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2011年10月12日

芸術を愛でる感覚

先日書いたように、私は新聞やノンフィクションは読みますが、小説を読む事はごく稀です。あまり「お話」を読む気がしないのです。音楽も最近はそこそこ聞きますが、全く聞かなくても平気です。美術館もMoMAの現代美術よりもMetropolitan Museum of Artダマスカス商人の居間(先日行ったら、イスラム美術のセクションは、残念ながら改装中でした。)を眺めている方が好きです。

面白い事に、私の息子は全く逆のタイプです。お話を読みながら空想の世界をさまようのが好きなようで、放っておけば何時間でも読み続けたりしますが、ノンフィクションは嫌いで読ませようとしてもなかなか先に進みません。音楽も既に自分の趣味を持っているし、MoMAでは、3㎝程の厚さの黒いゴムの床材が丸めて床に置いてある、どう理解したらいいのか分からないような展示を見て「見て、この影すごい綺麗だよ。」と言うのです。息子には、私と見えている物が違うのだというのがその時に解りました。でもMetropolitan Museum of Artは、少々退屈なようです。

MoMAの分館でPS1というのがロング・アイランド・シティーにあります。観光客でそこまでわざわざ足を伸ばす人はあまりいませんが、去年MoMAのメンバーだった時には、家から近いこともあってしばしば訪れました。そこはPS1という名が示すように、以前は小学校 (Primary School) だった古い建物を美術館に改装して使っています。

そこで以前行われていた映像の展示を息子が見入っているのに気がつきました。作家名はもう忘れてしまったのですが、一つの何気ない物から足が生えて別の物に変化して、それが更に又別の物に変化して… という連続が映像になっています。そこに夫が入って来て「僕はこういうのが、子供の頃にずっと頭の中にあったんだよね。ただ、それをどうやって表現するか、全く分からなかったから、芸術家にはならなかったんだけど。」と、大いに共感を示しているのです。

デザインの仕事をしている私よりも、保険屋の夫と8才の息子の方が芸術を愛でる感覚に鋭いとは、何とも皮肉なものです。



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2011年10月11日

そろそろ終わりに近づいた野菜の配布

今年の春からCSAというものに参加しています。Community-supported Agricultureの略で、近郊の農場と季節契約で野菜を購入し、週に1回まとめて配布を受けるというシステムです。特別にCSAが有機農法で育った野菜以外には取り扱わないという決りがあるわけではないのでしょうが、多くのCSAが有機農法の農場と契約を行っています。

私はそもそも農薬や遺伝子操作の野菜が気になるタイプではないのですが、ある日、Supersize Meを見て、鶏の育ち方に恐れをなし、鶏はオーガニックではなくても、放し飼いでなければいけないと思うようになりました。ところが、本当に放し飼いで育った鶏を手に入れるのは、あり得ないくらいに難しいのです。コストコでオーガニックの鶏は売っているけれど、本当に放し飼いかどうかは怪しい所だし、高いし、第一タンパク質を毎日大量に摂取するアメリカ人の夫がいると、かないません。

何がきっかけだったか憶えていないのですが、近所でCSAを行っている事がわかり、反対していた夫に内緒で参加してしまいました。ところが、一番最初の配布で作ったサラダの美味しさに夫が気がついて以来、夫もCSAの野菜のファンとなっています。計算すると1日2ドルぐらいになり、高いと言えば高いのですが、こんなにおいしい野菜はレストランでも滅多に食べられるものではないと思うと、それだけの価値は十分過ぎるほどあると確信しています。オーガニックというのはもうボーナスみたいなものだと思っています。

また、野菜がとても美味しいと、今までのようにタンパク質を過剰に摂取しなくても、充分な満足感があるのです。

今まで見た事もないような野菜が配布されるのも、CSAに参加している楽しみです。夏前に平たいインゲンを配布されて、どうやって食べたら良いのかネットで検索した憶えがありますが、同じ物を逗子のキングストアーで見た時には驚きました。日本のごく普通のスーパーにも目新しい野菜がどんどん出ているんですね。

そろそろ10月の末頃で野菜の配布も終わりになるので、おいしい野菜に甘やかされた私は、これからどうしたらいいのか、少々途方にくれています。以前、オーガニックだから美味しいのかと思い、オーガニックの野菜を近所のスーパーやファーマーズマーケットで買った事があるのですが、それほど美味しいとは思いませんでした。CSAと一般的なオーガニックとその違いがどこにあるのか全く分かりませんが、味が違うのです。

私の所属しているCSAは、去年は秋冬の野菜配布をしていたようなのですが、今年はまだその連絡がありません。カボチャ類や根菜だけでもいいから、冬にCSAの野菜が手に入ると有り難いんですが。



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2011年10月10日

スタテン・アイランドのグリーンベルト

最近、連休続きでお子様接待のネタにも手詰まりを感じていました。子供も今まで何度も行った所は飽きてしまっているのです。仕方がないので、目新しい所を求めてネットを調べた所、スタテン・アイランドにグリーンベルトというかなり広い地域があり、そこには幾つものハイキングコースがあるというので、行って来ました。

スタテン・アイランドには知り合いもいないし、何があるのかも知らないので、今まで車で通り過ぎた以外は、行った事がありませんでした。でも、今日は夫が何やらのテストが10月末にあるというので家で勉強をしているため、なるべく長く子供を連れ出すのがポイントだったので、クイーンズから遠く離れたスタテン・アイランドは好都合でした。

逗子の鷹取山ハイキングで、大興奮していた息子なので、これも大ヒットに違いない!と思ったのですが、そうではありませんでした。鎖場や大きな石の間をくぐり抜けるような夢とロマンと冒険を感じるようなハイキングが息子の所望のようです。

とうとう、息子が帰りたいと言い出したので、仕方がなく引き返しました。私も息子も長ズボンを履いて行かなかったので、足をボコボコに蚊にさされ、歩きながらもボリボリ掻いている有様でした。

グリーンベルト自体は、ニューヨーク市にあるとは思えないような素晴らしい自然保護地域なのですが、平坦で回りの景色がずっと同じようなコースを今回は辿ったので、息子にはつまらなかったようです。もっと、別のコースを行けば、廃墟を通ったり、湖畔を通ったり、海岸にも出るようなので、楽しかったかもしれませんが、それはもう少し研究して次回のお楽しみとします。



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2011年10月9日

Something So Right

私の育った環境は、芸術の類とは無縁だった為に、子供の頃に影響された音楽や文学というのがあまりありません。今でも新聞やノンフィクションは読めるけれども、小説を読むのは苦手です。音楽はテレビの歌謡曲や母の美容室で聞いたFM横浜から流れて来た音楽以外は、物心ついてから手探りで自分で選んで聞くようになりました。

私はあまり歌詞を味わうのが好きではありません。余りにも湿っぽい歌詞は感動するよりも引いてしまうし、元気の良すぎる歌詞も疲れてしまうからです。音楽を選ぶときの重要なポイントが歌詞ではないと、様々な種類の音楽を同じレベルで聞く事ができるメリットはありますが、10代の頃に密かにタンゴを聞いていて、怪訝に思われた事もあります。

ところが世の中には、音楽に乗った歌詞が聞き手の頭にす〜っと入り込んでしまうように歌ってしまう素晴らしい唄い手がいます。聞こうと思わなくても、聞いてしまうんだから凄いです。表現力というのでしょうか。ポール・サイモンがその一人だと思います。特別に歌唱力があるとかうまいというわけでもないと思うのですが、彼の語りかけるような歌い方には思わず聞き入ってしまいます。

ポール・サイモンは若くして成功を納めた人ですが、Something So Right を聞くと、彼の感性に驚かされます。このメローな曲の内向的な歌詞には、多くの日本人が強く共感して不思議ではないのですが、アニー・レノックスを始め多くの歌手がこの曲をカバーしている事から、何事もバリバリとこなす怪物かブルドーザーのように見える西欧人も心の奥底に傷つきやすい部分を持っているのだというのがわかります。

表現というのは、自分の奥底から出て来るもので、ある程度の真実がなければ成り立たないものです。何かを伝えたいという真実があれば、技術の未熟さなど気にならない事もしばしばあります。これに初めて気がついたのは、20代の前半に聖書の勉強をしていた時でした。主宰しているイタリア人の宣教師がおぼつかない英語で読む聖書の言葉の方が、メンバーの日本人が読む聖書の言葉よりも心に訴えかけてきたのには驚かされました。

45才にもなって自分の真実とは何なのだろうと、私は問うています。



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2011年10月8日

日本とアメリカの教育

アメリカの新学期は9月です。息子も3年生になって1ヶ月程経ちました。幸い新しいクラスに馴染み、友達もできたようで、親としては胸をなで下ろしています。

アメリカの公立小学校の1クラスの生徒数は、地方自治体と学年によって大きく異なり、場所によっては14人ぐらいの素晴らしい所もある一方、ニューヨーク市みたいに30人程もいる所もあります。固定資産税が高い裕福な地域は、教育に充てられる税金も多く、1クラスの生徒数が少ない傾向にあるようです。

息子が小学校1年生の夏に、逗子小学校へ2週間の体験入学をさせてもらうことができました。私が通った頃とは全く違う、最新式の見違えるような学校でした。子供の日本語が心配だった私は、一日だけ授業の内容を見学させてもらいました。その時の1クラスの生徒数が約40人程でした。私が子供の頃も同じような生徒数だったと思いますが、40人の6歳児を先生が一人で指導するのは、並大抵の事ではないと思います。それでも特別にクラスの規律を乱すような子供も見当たらず、先生も上手にクラスを指導していたので、とても感心しました。アメリカ人の1年生を集めて40人クラスにしたら、完璧な地獄状態になる事は間違いありません。

息子の入ったクラスの担任をしていた先生は、かなりのベテランで生徒との信頼関係も確立されていたようで、クラス運営のツボみたいなものを心得ていたように思います。でも、それと同時に勉強の指導が必用な子供達が殆どいないというのも40人クラスが成立しうる理由なのだろうと思いました。おそらく日本では、沢山の子供達が塾へ通っているからでしょう。私も塾へ通った子供の一人なのですが、塾へ通っていると学校で初めて習う事は殆どなく、全てが簡単にできる復習でした。

アメリカには、塾というようなものが存在しません。個人で勉強を教える家庭教師のようなチューターというのはあるし、公文に通っている子供もたまにいますが、基本的に勉強は学校でするもの、毎日の宿題は親が責任を持って見てやるものと相場が決まっています。両親が働いている場合でも、親は仕事から帰った後に子供のやった宿題に毎日目を通して、間違っている所があれば、やり直させたりします。もしも悪い学区に住んでいる場合には、子供を私立の学校に入れたり、ニューヨークだと子供の学校の為に引っ越しまでする家庭も珍しくありません。子供の成績に関しては、学校と親の責任がかなり重いのです。

ついこの前、日本が教育に使っている税金の割合が先進国の中でもかなり低いというニュースがあり、私は驚きました。日本人の教育レベルがそれでも高いのは、親が子供の教育に対して高額な投資をしているからなのでしょう。つまり日本の政府は、子供にかけるべき教育の費用を一般家庭に丸投げしているのです。アメリカの教育問題は、既によく知られている所だと思いますが、日本の教育問題もかなり深刻なようです。



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2011年10月7日

もうすぐ死ぬとしたら…

スティーブ・ジョブズが亡くなりました。仕事柄もあって、私はMacを使うのですが、そうでなくてもMac製品の無駄を省いた美観と使い心地が好きです。ギークではない私でも、少々の不具合ならば自分で直せるのがMacの良い所だし、ファインダーも見やすく、ファイル整理もしやすいのです。ウィンドーズではそうは行きません。

今日はいちにち、スティーブ・ジョブズの訃報でテレビやネットは溢れていました。その中で、2005年に行われたスタンフォード大学の卒業式祝辞のビデオが何度か使われていました。とても素晴らしい祝辞です。英語なのですが、上のリンクからビデオも原稿も見る事ができます。(追記:日本語訳もネットで見つけました。訳の仕方によって、ずいぶん雰囲気が変わるものですね。興味深いです。)

何を言っているのかというと、自分の生と死とそれまでの人生を例に挙げ、本当にやりたい事を見つけなさい、見つからなかったら、妥協せずに探し続けなさい、時には死と直面した時に自分の本当にやりたい事が見えて来ることもある… という内容をもっと雄弁に、スティーブ・ジョブズの説得力をもって語っています。

実は、私がブログを始めたのもそれなのです。私は、国文学を勉強した事もなければ、小説さえ碌に読んだ事がありません。子供の頃に作文が得意だったわけでもありません。でも、自分の中にあるものを書いて表現しないでは死ねないのです。いままで、何かを書くなんて夢にも思っていなかったのに不思議です。

また数ヶ月後には、別の事に興味が移っているのかもしれません。でも、それならそれでいいんだと思いました。



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