2012年3月12日

異常な中での正常な状態

東北地方太平洋沖地震から1年ということで、各地で色々なイベントが行われています。私はニューヨークに住んでいるので、揺れも何も感じませんでしたが、去年の今頃は日本に住む家族や友人の安否が気になり動揺していました。

今の日本人の心の状況を考えると、私がニューヨークで体験したワールド・トレード・センター崩壊後のニューヨーカーの心理状況と重なります。と言っても、日本で起った地震の被害は、ごく局地的なワールド・トレード・センターの被害と比べると途方もなく甚大で、しかも問題の原子力発電所は未だにくすぶっている状態なので、被害にあった方々は、今でも毎日大変な思いをされている事と思います。

高校時代の友人のツイートを読みました。「NHK『3・11のマーラー』、震災の日に予定されていたコンサートを決行した新日本フィルの当日のドキュメント。観客も含め、今の場所で自分のなすべきことを成し遂げることも大事、音楽は人の心を救うものだとしみじみ感じた。(@tokoestcontente)」それを読んで、そういえば自分にもそんな事があっのだと思い出しました。

私はアルゼンチン・タンゴやコンチネンタル・タンゴが大好きなのですが、去年の今頃、地震や原発事故の事で頭がいっぱいで、楽しみにしていたタンゴの演奏とダンスを見に行くのを中止しようかと思っていたのです。起きている間は、ずっとコンピューターにかじりついて、拾える限りの日本の情報を調べまくり、とてもタンゴなど見に行く気持ちにはなれませんでした。そんな私を見て、夫は殆ど無理矢理私を連れ出したのです。

行く途中も、ずっと地震や原発の事が頭から離れず、気が気ではありませんでしたが、不思議な事に演奏が始まり、力強い演奏や歌、ダンスを見ているうちに、どんどんと引き込まれて行って、その間だけは全てを忘れてタンゴだけを堪能する事ができました。

そして、上記の友人のツイートを見て、悲惨な戦時下のサラエボの廃墟の中で演劇がずっと密かに行われていたという話も思い出しました。どうして殺戮やレイプが毎日起っていたようなサラエボで娯楽の事など考える事ができるのかと怪訝に思う人もいるかも知れません。でもサラエボの人々は、異様な状況が日常となっている中で、正常な精神状態を忘れたくなかったのだそうです。演劇を見ることによって、ともすれば狂ってしまいそうな自分の心を正常に保とうとしていたのでしょう。

芸術というのは、一見あまり役に立たない金持ちの道楽で、誰のお腹を満たす事もできないようにも思えますが、実は人間にとってなくてはならないものの一つです。もしも本当に芸術が無用の長物ならば、人は洞窟に壁画を残さなかったし、様々な偶像を残す事もありませんでした。でも芸術は、どんな状況下でも決して廃れる事なく歴史上に存在し続けています。おそらく、芸術は人間がただの動物ではなく、人間であるというのを確認することができる一つの重要な手段なのでしょう。



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