2011年9月11日

池子

鷹取山の登山口と老人ホームに行く途中、京急逗子線の線路沿いに歩くと、左側にうっそうと茂る森が広がっています。ここは、私が高校時代に毎日歩いた道でもありました。

以前は池子の弾薬庫と呼ばれ、今では池子の森と呼ばれているようです。周囲をフェンスで囲まれたその一帯は、戦前から市民の立ち入りが一切禁止されているために、様々な想像をかき立てて来ました。私が子供の頃の70年代には、接収地に入った人が米兵に射殺されたという都市伝説さえありました。

80年代に持ち上がったアメリカ海軍第七艦隊の住居施設の建設に当たっては、逗子市長の辞任や議会のリコールを繰り返してきたので、そのニュースが記憶に残っている人もいると思います。今では神武寺駅のホームから米軍の住居区域の様子を少し垣間見ることが出来るので、気になって調べてみた所、更なる住居建設の計画が進行中だと知って何とも言えない絶望的な気持ちに見舞われました。

290ヘクタールというと広大な面積のように聞こえますが、実際はセントラルパークよりも狭いのです。現在では敷地の一部が住居施設として使われているため、残されているのは210ヘクタールです。セントラルパークが341ヘクタールなので、いかに残された地域が僅かで危ういかが分かります。

私にとっては、逗子の入り組んだ狭い道沿いに建設される巨大なライオンズマンションも、山あいに建設される新興住宅地も、池子の米軍住宅も同じレベルの問題です。自然に囲まれた土地に住みたいという気持ちは理解できますが、どこかで歯止めをかけないと、過剰な土地開発の行く末は、なんの魅力もないベッドタウンなのでしょう。

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