高祖母は、洗濯屋のおばちゃんの話によると意地悪な人だったそうで、確かに残っている写真の顔を見ると意地悪そうではあります。それでもお裁縫が得意で私の祖母とはウマが合ったらしく、祖母はお裁縫を時々頼んでいたと聞いた事があります。
高祖父は浅草で花魁の顔剃りをしていた曾祖父の事を知り、その腕に惚れ込んだので長女と結婚させたそうです。一つ分からないのは、何故高祖父に息子が三人もいながら、しかも三人とも床屋をしていたというのにわざわざ長女に婿を取ったのかという事です。いくら曾祖父の腕が良く口もうまかったからといって、当時は明治か大正時代で、長男が家督を継ぐというのが当たり前だった事を考えると、息子達からかなりの反発や批判があったはずです。
私の姓も、実は高祖父の姓ではなく曾祖父の姓だと聞いています。「おじいちゃんが名前をちゃんとしなかったから…」と父のすぐ下の妹が嘆いていたのを聞いた事もあります。家の戒名を見た時にも、墓石にも高祖父の名はなく、最初の死者は関東大震災で亡くなった曾祖母と当時3才の女の子です。もしも本当に高祖父が曾祖父を婿養子にしようと考えていたならば、おそらく私の曾祖父は正式な養子縁組をしなかった為に家督を取り損なったのだろうと思います。
逗子のキングストアーの前当たりに、少し前まで床屋がありました。そこの床屋とは親戚だとは何人かの人に聞いた事があります。どういう親戚関係なのかは、誰も説明してくれなかったのですが、多分私の高祖父の息子の一人が出した店だと思います。高祖父の姓とそこの床屋の姓が同じなので、間違いないでしょう。
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