2011年9月7日

江戸ッ子

世の中には、欠点が沢山ありながらも、好きになってしまう人というのが存在します。そういう人々は概して、自己中心的であり、常識にも欠けている事が多いのですが、ずば抜けて良い人間性を持っています。私の90才になる遠縁のおばちゃんがそういう人です。

彼女は代々続く東京の小石川の裕福な商家に産まれて育ち、太平洋戦争が始まるまでは毎日お芝居やお稽古事に明け暮れ、何の苦労もなく育ったようです。それが日本の軍備拡張とともに住んでいた地域が軍に買い上げられたので、そのお金を持って親戚の住んでいた逗子に引越して来たのだそうです。私とおばちゃんはかなりの遠縁であるにもかかわらず、おばちゃんの気さくな人柄によって親しくさせてもらっています。

おばちゃんには色々と自慢話があり、自分の容姿や健康状態から始まって、持ち物、筆跡、血統、趣味など、どんな事でも自分が一番だと信じています。今は90才にもなるので、かなりボケが入って来ていますが、ボケが入る何十年も前から同じ話を何度もしたり、他人から聞いた話を自分が良いように解釈して内容をねじ曲げて別の人に話していました。

「やまいこうもう」を「やまい肛門」と言ったり、他人の奥さんを「家内」と呼んだり、「あくまでも」を「悪魔までも」と言ったりというような少し笑ってしまう言い違いもよくやってました。私が「おばちゃん、それ違うよ。やまいこうもうだよ。」と指摘しても、聞く耳を持たず「いやだねぇ、この子は。人のあげ足ばっか取って!」などと言ったかと思うと、涼しい顔をして又同じ言い間違いを延々と繰り返していました。

他人の生活にも平気でズカズカと侵入して来るし、言いたい事を言いまくっているので、そういう面を嫌う人がいるのも事実です。でも、おばちゃんはとんでもないくらいに人が良く、困っている人や助けがいる人を見つければ、決して放っておけないタチなのです。未婚で子供もないのですが大の子供好きで、私達姉妹が子供の頃は、毎日のように面倒を見てくれていました。まだまだ元気だった70過ぎの頃には、近所に住む男の子の面倒を無償で見ていたようです。「袖すり合うも多少の縁」とは、おばちゃんが言っていた事ですが、まさにおばちゃんの人生哲学のようです。江戸っ子ってこういう人の事を指すんだろうと思います。

7年間の自宅介護の末に母親をなくしてからは、おばちゃんは年下の弟であるおじちゃんと二人で暮らしています。この二人はあまり仲が良くなく、年がら年中喧嘩しているとよく聞きます。とは言っても、おばちゃんの方が比べ物にならない程強いので、おじちゃんには少々気の毒ではあります。

そんなおばちゃんの家には、昔からの長い付き合いがある人々がしばしば立ち寄ります。何か食べ物を持って来たり、買物のついでに立ち寄ったり… あまり日本語の話せない私の8才の息子までも、おばちゃんの家の側まで来ると、ちょっと寄って行きたくなるようです。いつまでも長生きして欲しいと願っています。

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