2011年9月25日

煙草

私が帰省するときには、母を老人ホームから家に迎えて一泊させてあげる事にしています。ただし、設備の整っていない狭い所で車いす生活の母の世話をするのは心配だし、かなり重労働でもあるので、私一人ではできません。必ず妹か弟に手伝ってもらう事にしています。

今年は母が泊まりに来た日が丁度お盆の期間でもあったので、お墓参りに一緒に行きました。お寺もお墓も逗子にあるので、歩いて行ける距離なのです。弟が車いすを押してくれたので、車輪が走りにくい歩道でもグングン進んで行きました。

途中でお花を買って、お線香を買って火をつけて、水をバケツに汲んで、迷路のようなお墓の通路も車いすは速いスピードで進んで行きます。お墓に着いてから簡単に敷地を掃除し、今まで上がっていたお花を下げて水を入れ替え、墓石にも水をかけ、新しいお花を上げ、お線香を祠のようになった所に入れると、弟はそこに火をつけた煙草も入れたのです。
「何で煙草お供えするのよ?パパ煙草吸わなかったじゃん?」
「実っちゃんだよ。」
「ああ、そうだったね。」
実っちゃんは、おばあばが芸者をしていた時に産んだ子供です。 赤ん坊がいては仕事にならないので、実っちゃんは産まれてすぐに里子に出されたそうです。おばあばが芸者を止めて、私の曾祖父と暮らすようになってから呼び戻されたそうですが、実の母と子とは言え、今まで殆ど面識もなかった上に、おばあばは家庭など持った事もないために、多感な年令の娘との接し方も分からず、関係はぎくしゃくしていたと聞きました。

私の曾祖父にとっても実っちゃんは他の男の子供だし、おばあばとの生活には都合の悪い存在です。実っちゃんには、年令が少し下の私の父やおば達の子守りをさせ、かなり辛く当たっていたと聞きました。実っちゃんはかなり勉強ができて成績は良かったけれど、いつしか家出を繰り返すようになったそうです。

時が経ち、私の父も成長して競技会などで頭角を現すようになり、いつまでも独身でいるのも良くないと、実っちゃんに縁談を持ちこんだのだそうです。結納を交わし、式を挙げると、次の日に実っちゃんは帰って来てしまったのです。その日から、実っちゃんは男として生活し始めました。私が子供の頃は、友人から「あの人、男?それとも女?」と何度か聞かれた事を覚えています。いつも男装で、声も低いし、男のようだけれど、やはりどこか女のようでもあったのです。

私も子供の頃には時々面倒を見てもらいましたが、特に弟は毎日のように近くの公園に連れて行って遊んでもらっていました。その事を弟は忘れていないのです。実っちゃんが肺がんにかかって入院した時にも、私は既にアメリカで生活をしていたのですが、弟は頻繁にお見舞いに行ったのだと母から聞きました。

「ハイ、じゃあナムナムしてね。」
弟が母に言うと、母は自由の利く左手を顔の前に持って来て、お参りしました。

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